シュローダー

シン・エヴァンゲリオン劇場版のシュローダーのネタバレレビュー・内容・結末

5.0

このレビューはネタバレを含みます

本当の本当にエヴァが終わった。この事実だけで一つの歴史の転換点に立ち会えた興奮と、全てが過ぎ去ってしまった寂しさの間で引き裂かれそうになってしまう。本当ならば言葉にするのも躊躇われるような作品であるのだが、2回連続で観て感じた事をありのままに書こうと思う。本編前に流れる「これまでのエヴァンゲリヲン新劇場版」で流される映像は、ただのダイジェストの様に見えて実は巧みにこのシンエヴァ本編に関係ある場面を抜き出して編集されていることにまずビビったし、アバンタイトル。パリでのド迫力バトルが終わった後にマリが放つセリフ。この映画を最後まで観ると「ああ、マリは最初からその話をしてたんだ」と分かってしまう。そこから始まる第一幕は「アベンジャーズ エンドゲーム 」をモロに彷彿とさせる過去のキャラとの再会パート。トウジやケンスケが出てくるだけで嬉しいのは勿論だが、「この世界の片隅に」を観てるのかと錯覚してしまう田舎暮らしが続くのにもビックリした。ここは初見時は長いと感じたが、2回目に観るとセリフのやり取りの構成含め、全く無駄がないことに気づく。Qと違って死ぬほど丁寧に説明が入っていくのが親切なのは勿論、シンジがお決まりの様に心を塞ぎ込んでいく中、何者でもなかったアヤナミレイが、感情を覚え、さようならの意味を知り、幸せを渇望し、"綾波レイ"になって消えていく。それによって、シンジはとうとう腹を括り、トウジやケンスケに影響され、父ゲンドウに会い、「落とし前」を付けることを決意する。そしてそこから怒涛の第二幕「ヤマト作戦」登場人物がその場その場で全く新しい用語を使い出すエヴァ節に振り落とされそうになりながらも、もう僕はミサトさんがセリフを言う全ての場面で号泣していたし、新型2号機のカッコよさに震えたし、ゲンドウが面白おじさんになっていたのにも笑ってしまった。ヴィレは打つ手を失い、一度全てがここで絶望的な状況に立たされる。そんな中1人静かに立ち上がり、ミサトの抱える後悔を背負うシンジ。かつての自分の言葉に責任を持つ為に、シンジを身を挺して守るミサト。ここの場面は2回観て2回とも画面が涙でよく見えなかった。破からQの流れで観るシンジ君とミサトさんの関係性の終着点。「行ってきます」「行ってらっしゃい」このやり取り。Airの頃のあの病んだ共依存の関係性からは想像もつかないレベルで爽やかである。ここまでで充分涙を搾り取られているが、さらに涙を流すのが問題の第三幕。TV版や「Air まごころを君に」でついぞ果たせなかった「碇ゲンドウの救済」をしかもシンジが救うという形で成し遂げてみせる。ゲンドウという男が抱える鬱屈と後悔を、それこそTV版26話の様に炙り出しながら、実は彼もシンジと同じ孤独な人間だという事を丹念に描き、シンジを抱きしめるという選択にまで持っていく。「父殺し」とは古今東西の物語の常であるが、エヴァという物語の中で初めて真っ正面から「さようなら」を描いて見せた。その事実だけで泣けてくる。そして「さようなら」を言うのはゲンドウだけではない。「Air まごころを君に」で選び取ったアスカには、旧劇まんまの作画やシチュエーションで、前回あれだけおいしい扱いを受けたカヲル君にも、「シ者」ではなく「渚カヲル」としての人生を与え、シンジにとっての全ての引き金であった綾波レイには、自分が主人公として歩んできた「エヴァ」という物語そのものに終わりを告げ、エヴァのない世界…虚構に囚われず、現実で生きる世界を自分は生きると告げる。セカイ系ヒロインのパイオニアである彼女に対して、だ。本気でエヴァを終わらせにかかっている。そして、全てのエヴァを破壊し、父と母を見送り、碇シンジが作り替えた新しい「世界」で、共に生きるのは誰なのか。ここで出てくるのがまさかまさかのマリ。新劇場版はマリルートで終わるのだ。これには思わず口をあんぐりと開けたままスクリーンを観ていた。しかもシンジ君が神木隆之介の声で喋っている。一体何を見せられているのかわからなかった。セカイ系の破壊と再定義というテーマを新海誠に先にやられたからとは言え、手塚治虫の様な行動で返す辺り、庵野秀明という作家の子供っぽさがよく分かるが、実写の風景の中で動くシンジたちの姿に宿る希望。こんな形でエヴァが終わるなんて、想像出来なかった。そして、邦画史に残る長さのエンドロールが終わり、涙でマスクをグッシャグシャにした後に残ったのは、強烈な喪失感。庵野秀明という作家がこんなに優しい物語を作って、世界に放つ事が出来た。それだけで充分ではないだろうか。ディテールの面も語らなくてはならない。「キン肉マンかよ!」と思わず突っ込みそうになったシンクロ率∞の理屈とか、敢えてミニチュアセットである事をバラす13号機VS初号機の場面であるとか、過去作の作画をそのまま使って特撮に於ける「バンク」感を出す演出とか、シンジと綾波が喋る場面でやってのける超ベタな「ウルトラセブン」最終回オマージュとか、最後の最後にユーミンを流す事によって示す宮崎駿「風立ちぬ」との類似性(しかも流すのが「さよならジュピター」の主題歌ってのが最高)であるとか、細かく列挙しきれないほどの見事なディテールに満ちている。それら全てが積み重なり、エヴァという虚構に20年近く囚われてきた全てのリリンたちに対して、「また会う為のおまじない」である「さようなら」を告げる。こんな映画には今まで出会ったことはない。この映画を朝の7時という1番早い上映回で観れたことは、人生の誇り。庵野秀明がつけてくれた最後にして最高の「落とし前」ありがとう。そしてさようなら。全てのエヴァンゲリオン。「孤独という親友との大切なエチュード」であるこの映画の事が、大好きで仕方ありません。