Kevin

プラネタリウムのKevinのレビュー・感想・評価

プラネタリウム(2016年製作の映画)
3.4
1930代後半、アメリカ人のローラ(ナタリー・ポートマン)は霊感の強い妹ケイト(リリー=ローズ・デップ)と共にパリを訪れ、人々に降霊術を披露するツアーをしていた。
その光景に驚かされた大手映画会社プロデューサーであるコルベンは、2人を主人公にした映画を作りたいと話を持ちかける。
こうして契約を結んだ姉妹はコルベンの豪邸に住むこととなり、何不自由ない生活を送っていたが...。

見えない世界を人々に見せる彼女らもまた、見えない世界で生きていた。

日本版ポスターの〝高名なスピリチュアリストなのか、それとも世紀の詐欺師なのか。〟
は、非常にミスリードだと思う。
見るべき部分はそこではないし、というかその点について描いている訳でもない。

自分は観察眼は鋭くないが、それでも本作はただの雰囲気を楽しむ映画だけには思えなかった。
確かにナタリー・ポートマンとリリー=ローズ・デップの美しさ、美術、映像、音楽だけでも十分成り立ってしまうくらい雰囲気は良いのだけれど。

彼女らは今まで歩いてきた道をそのまま進み続けることだって出来た。
ところがその道中に新たな分かれ道を見つけ、ある意味大きな賭けでその方向へと進んだ訳である。
そうしたことで結末が良くも悪くも変わってしまうかもしれないし、顛末は変わったとしても結末は変わらなかったかもしれない。

人生は真っ暗闇の中を手探りで進む様なモノ。
そして微かでも光が見えたらその方向に行く。
その光が一つではなく幾つかあるかもしれない。
他にも様々な要因があるだろうが、そうして自ら決めた道を歩いていく。
結果、その道が最良ではなかったにしろ、それがその人の人生。

例えば、その人の理想的な人生を“本物の星”とするならば、目先だけを見たり、甘えや誘惑の先にある人生を“虚構の星”、つまり“プラネタリウム”とする。
手頃に星紛いのモノを見ることが出来、なんなら触ることだって出来る。
それらを本物の星のように思えば本物にだって見える。
だが、いつかは虚偽と向き合わなければいけない時が来る。
(あくまで本作に限った話として)ローラが映画(虚構)の世界を選んだのも、そういった関係性があるのではないかと。

彼女らは宇宙の様に真っ暗な人生の中で星を見つけたが、その星に近づけば近づく程、想像とは違った星、プラネタリウムだったと気付いたのだろう。
プラネタリウムの中にいたことを思い出したのだろう。

だとすると誰も思い描いた人生を手にすることは出来ないのか、と言われればそうでもないと思う。
何とも安い言葉だが、人間やれば何だって出来る。
星にだって行けるし、もっと遠くへだって行ける。

と言いつつも、本作は“運命”のことを描いていて、運命には抗えないということを見せたい様にも捉えられる。
目先だけを見ていても偶然成功する可能性もあるだろう。
それがその人の運命だと言ってしまえばそれまでだ。

しかし自分の意見として運命は後から定義される“人間が都合の良いように創り上げた言葉”でしかないと思っている。

一人一人の人生は自らの選択によって形成されていき、その選択も千差万別。最良の選択も勿論人によって異なる。といった、運命よりも“選択”に焦点を当てていたのではないだろうか。

自分がどんな道を選択し、どんな将来が待っていようと更なる未来を見据えて生きていく。
明日はきっと素晴らしい日になる、と。
ラストにはそういった力強さを感じつつも、少し不安を煽られるようにも感じた。

自分もこの作品の1/3も理解出来ていないと思うが、だからといってナタリーとリリーを見るだけの作品でもないと思う。

とか抜かしておきながら書いてて自分でも思ったけど、考え纏まらなすぎ。笑

だから敢えてそこだけを注目して書くと、ナタリー・ポートマンの女優としての大きさを感じるには持ってこいの作品だし、リリー=ローズ・デップの可愛さを味わうにも持ってこいの作品ということを念のため書いておきます。笑

もっと当時の時代背景とかを知った上でまた観たいと思える作品だった。
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