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レディ・プレイヤー1のohassyのレビュー・感想・評価

レディ・プレイヤー1(2018年製作の映画)
4.5
「スピルバーグはいつだって僕たちの夢を叶える」


ずっと観ていたくなる映画が時々あるけれど、本作は僕の中でその代表格になったと思われる。
映画以外の文化、特に音楽やゲームや特撮モノはあまり詳しくないのだけれど、それでも十分すぎるほどの幸福感に包まれることになった。

映画オマージュだけで数え切れないほど取り込まれているし、気づいたものだけでもその使われ方がいちいちうれしい。
観ている間ずっと偉そうに、さすがスピルバーグ!と上から目線なコメントを脳内で連発してしまう感じ。
アイテムやキャラとして生かされるものもあれば、ストーリー展開やシーンとして生かされるものもあるし、セリフとして登場するものもあるしで、「そうきたか!」「そうくるの?!」「それ最高!」ってなってずっと忙しいしずっとうれしいしでドーパミンがどばどば出ていたに違いない。
だって観終わった瞬間にもう一度観たかったしなんならそれこそ80年代の映画館だったならもう一度観てた。
いつも手元に無いと不安になるレベルなので早くソフト化して欲しい、ワーナーさんは急いでください。


少し冷静に考えてみると。
これは本来的な映画の面白さとは全く違う面白さだ。
ストーリー自体はバカみたいな設定だし、キャラクターに奥行きというものはない。
アバターと実物は同じじゃないから幻滅するよと振っておいて、ちょっと顔にアザがある程度でほぼ完璧に可愛いヒロインなんざ都合が良すぎる。
(それにしても魅力的な女優だったな)
浮かれて「いろんなキャラが権利の壁を乗り越えて集まった!」とか、「未来のVR世界を超絶映像で擬似体験!」だけの映画に留まっていたとしたら、歴史に残るクソ映画になっていたはず。
それこそリメンバードラゴンボールである。

スピルバーグが圧倒的に違うのはやはりそこで、全ての原作に対しての愛と理解が誰よりも深く、それらを映画としてまとめ上げる技術が世界一優れているのだ(また偉そうになった)。
そりゃこれだけの量をさばいていたら中には不満を感じる人もいると思うけれど、それでもごく少数派だろう。
ほとんどの人はうれしさに包まれていると確信している。
そういうところを実現するためには、ストーリーの骨組みはシンプルでわかりやすくなくてはならない。
これは超難易度のパズルのようなシナリオで、はめた瞬間に視聴者がそはのネタ元と使われ方を理解できないといけない。
だからストーリー上で複雑でいろんな意味に取れるような使い方をしてはいけない、ちょうど良さが何より大切なのだ。

本来ならばキャラクターがカタルシスを迎えるには、主人公の境遇をスターウォーズ的に描いたりすることも必要だろう。
初期プロットには存在していた気もするけれど、それをやると尺が全然収まらないし、なかなか最初の見せ場までたどり着かない(もしくは中だるみになる)可能性がある。
そんな「既存の映画らしさ」はあっさりと捨てて、「新しい魅せ方」に注力したその判断力と挑戦には感動せざるをえない。
しかも現代映画というものを作り上げてきた張本人が、である。
制作途中に「ペンタゴン・ペーパーズ」を挟んでいるのも意味がよくわからないけれど、もしかしたらその小休止が本作に良い影響を与えているのかもしれないなと、ちょっと思う。
俯瞰してみることができた結果、編集に手を加えたりしているのかも。
だからこそのバランスなのかもなあ。


冷静パート終わり。
80年代カルチャーがメインに取り上げられていたり、日本版権がふんだんに登場していたり(しかもその使われ方ときたら!みんなが感動しちゃっているあのセリフはもちろん、とにかくリスペクトされてる感がものすごいんだ)、もうこれは僕を含めた40代の日本人男性は一生の宝物にすべきだと思う。
だって、僕ら以上にこの映画を楽しめる人間は全世界、いや全宇宙にだって存在しないぜ?!
僕らにとって作中のVR世界「OASIS」はスピルバーグが作ってきた映画の世界そのものだし、そのOASISを作ったハリデーはスピルバーグそのものだ。
「ジュラシックパーク」を初めて体験したあの時のことは、ちょっと忘れられないでしょう?


細かいことを言い始めるときりがないけれど、あとひとつだけ付け加えるなら、スピルバーグって「シャイニング」大好きだなあって。
「ツイスター」でも使ってたよね。
あれ、ヤンデボンじゃなくてスピルバーグの趣味だと思うんだよねえ。

ごめんもうひとつだけ!
タイトル最高!すごい!
うまい邦題はないかと結構考えたけど、英語でのあの雰囲気を出せる言葉はついぞ見つかりませんでした。
ohassy

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