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溺れるナイフのRenのレビュー・感想・評価

溺れるナイフ(2016年製作の映画)
2.5
山戸結希監督作品は『ホットギミック ガールミーツボーイ』がオールタイムベスト級に好きなのですが、今作は正直ハマっていないです。原作漫画はきっと面白いのだろうなとは思うのでいつか読みたい。

山戸監督は、女の子が消費される存在ではなく主体性を持った存在であることをとことん追求する方なのだと感じました。それはもちろん自身が女性監督であることに起因する問題提起であると思います。やりたいこと・伝えたいことがブレずに一貫している。

モデルである夏芽(小松菜奈)は女性として「見られる」存在。そして山道での悲劇によってクソな男性性に搾取される被害者になる。
コウ(菅田将暉)は すんでのところでそんな彼女を救えず、二人は断絶されます。そして拍車をかけるように世間は夏芽を、被害者女性として消費する。コウとの出会いによって自分らしさを掴みかけていた夏芽はまた「女性」とラベリングされる世界に引き戻される。
志磨遼平演じるカメラマンの心変わりが印象的。コウと出会った頃の夏芽を彼は矢継ぎ早にカメラで撮りますが、その後の世間の胸糞悪い視線や圧力によって女性性の中に埋没されられてしまった(悪い意味で)夏芽のことは「つまらない」とバッサリ切り捨てます。天才カメラマン(=人を洞察する力に優れている)である彼が、彼女の変化を見抜くのは納得。

終盤、再度訪れる悲劇とそこでのコウの行動は、「夏芽を(悪い意味で)変えてしまった病理の断絶」に起因するのだと思います。過去ごと海に沈めて夏芽を羽ばたかせようとするコウは、やはり神的な何か。金髪で浮世離れな彼のザ・漫画的造形も相まって、自分には彼が人間だとは終始どうも思えなかった。

世間(有害な男性性、と言ってもいいかも)のイメージや欲求にフィットする「女の子」像に囚われることと、そこから解放されて「自分らしい存在」になること。『ホットギミック ~』と完全一致。
だとしたら後は映像的快楽の好みの話になるのですが、漫画的なテンションの台詞と演技、劇伴多用の編集は『ホットギミック ~』のようにキリッとした都会だからこそ映えるのだと今作で確信しました。開発された湾岸とマンモスマンションを舞台に、カットを刻みまくって台詞を捲し立てるDJ的編集こそが至高。
今作は、小松菜奈と菅田将暉の美貌が良い意味で浮きまくっているのは配役として合っているなとは思いましたが、中途半端に長いカットやちぐはぐに感じてしまう音楽の使い方がどうも絶妙にグルーヴしていかない。
一貫して夏芽視点の物語であるのはいいのですが、彼女の周辺のキャラクターが全員ふわふわしていて(バックボーンも性格もあまり掴めず “夏芽に何かをする“ に留まっている気がとてもする)見方があまり分からなかった、という掴みどころの無さもありました。

『ホットギミック ~』にはスコア4.5を付けているので、山戸監督がそもそも苦手な人にとっては今作とそんなにスコア差があるような映画でもないだろと思われそうですが、自分の好みとしてはこのくらい差があるのです。

その他、
○ 上白石萌音、垢抜けきっていない学生役似合いすぎ。
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