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葛城事件のKKMXのネタバレレビュー・内容・結末

葛城事件(2016年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

すごく悲しい映画でした。

清には明らかに家族愛があるんだよね。しかし、それは空回ってばかり。理想を掲げて支配し抑圧するしかやり方を知らない。不器用というより愛するスキルが欠如している。そんな夫を嫌っているくせにノーと主張できず、「ここまで来てしまった」と嘆く伸子。父親の理想に殉じる良い子の保と、否定されて腐るしかない稔。

葛城家に共通するのは主体性がないこと。家族の中に、自分の力と誇りで人生を切り開き、自分を勝ち取るという価値観がない。清も金物屋の二代目を主体的に選んだとは思えない。家族全員自信がなく、臆病なのだ。清のクレーマー気質とかは、弱い犬ほどなんとやらのよい見本だ。理想の家族像とかにすがるのは主体性がない、すなわち自分がなく臆病だからだ。
そして、主体を持っていないから、互いに個人を尊重できない。人間を尊敬することができないのだ。支配-服従とか、不自然な関係にならざるを得ない。家族とか言ってるけど互いに信頼できないからみな孤独だ。
おそらく、これまで清も伸子も主体性や愛するスキルを学べなかった。家族とはそういうものだと思っていたらあんな事になってしまったのだ。本当に悲しい。

葛城家以外の重要人物・順子も相当アレな人で、空念仏の愛を唱えるメサイアコンプレックスのクソバカ偽善者(狂信者?)だが、終盤の自分のセックスを語るシーンや、清にキレるシーンで、生々しく情けない人間の顔が現れ、なぜかニンマリしてしまった。守りが破け、新しい展開を示唆している。

ほっこりシーンはアパートの最後の晩餐シーン。唯一の家族団らんですね。ここで、清の呪縛から逃れて伸子と稔は自主性を獲得しかける。精神発達のチャンス獲得場面だ。少し光が見える、なんともあたたかい雰囲気でした。
あそこで元の木阿弥になっちゃうのがまた悲しいんだよなぁ。
どうでもいいけどDV被害者のシェルターの重要性を連想してしまいました。
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