スクープは、はじめは記者が攻める側だが、
スクープを取った瞬間、
記者はターゲットから攻められる側になる。
追う者・追われる者の逆転。
それがあるから緊張感を生む。
はじめ、ターゲットとは間をとり、
その気付かれないくらいの距離感がとても緊張感を生む。
ここまでは、押さえつける様な緊張感だ。
そして、スクープを取った瞬間、
今度は捕まらない様にターゲットから遠ざかる。
ここからは、焦る緊張感。
それを、この映画は狭い空間でそれらをみせることで、緊張感を生んでいる。
距離感は人間関係もそう。
登場人物たちの人間関係も距離でうまく描いている。
静と野火はいわゆる出会いは最悪、でも実は…という典型的な恋愛展開だが、
そこに、師匠と弟子という関係性による緊張感がでる。
静と定子も職場では言い合う仲でも実は…という場面でみせる2人のエロさたるや。
そして、何と言っても、
静とチャラ源の関係性がとてつもなく緊張感がある。
昔チャラ源に借りがある静。
だから、チャラ源に気を使う。
その気の使い様とチャラ源の狂気具合が緊張感を生んでいる。
この映画のラストは
冒頭で述べた物理的な距離感と
人間関係的な距離感が集大成の様に重なるからこそのものになっている。
そして、このラストが良いのはもうひとつ理由がある。
「わかんないけど、」
この言葉が映画にはよく出てくる。
わかんないけど、写真を撮りたくなった。
わかんないけど、記事にワクワクした。
わかんないけど、この仕事をしている。
わかんないけど、ひたすらにスクープを追い続けている彼ら。
わかんないなかで、彼らが唯一持っているものがカメラである。
わからないなかで、もがき続けている彼らが辿りつくことになってしまったラストは、
そのどうしようもない運命に悲しくもあり、
彼らの生き様の象徴に誇らしくもあり、
切なくもかっこいいシーンになっている。
アクションの意味づけから、ストーリーの構成まで、
さすがよく練られていて、
大根監督の作品はそんなに好きではなかったけど、
今回はやっぱ、みんなが言う様にすげぇんだなって思った。
音楽もよかったな。