しゃび

海よりもまだ深くのしゃびのレビュー・感想・評価

海よりもまだ深く(2016年製作の映画)
3.0
失って初めて、自分には何もなかったのだと気づく。

自分の手から離れていってしまったものを、もう一度手に入れるのは難しい。分かってはいるが、見えないフリをして追いかける。自分には他に何もないから。

「何で男は今を愛せないのかねぇ。」

どうしても人は今をニュートラルと考えて、あらゆる事を考えてしまいがちだ。「有難い」の意味を噛み締めながら生きなきゃいけないな、と改めて思う。そんな事を思いながら良多を見ていて、ふと『永い言い訳』の幸夫を思い出した。置かれた状況は違う。だが、取り返しのつかない事態が急に訪れたか、じわじわと訪れたかの違いだ。

元夫と妻のお互いに対する心情の機微が、会話や仕草から伝わってくる。この辺の描き方は流石。阿部寛の演技も素晴らしい。真木よう子も今まで見た中では、個人的に1番良かったように思う。

良多の実家の光景がまたいい。
母淑子のキャラクターと実家の内装が、団地感漂う生活の匂いを演出しており、特に後半のドラマに奥深さを加える。

だがその反面、どうしても視点ありきの映画設計を感じてしまい、例えば子供の描き方など雑な部分も散見される。些細な場面が不自然だったり、余計だったり。この辺は好みの問題なのかなぁ。

以下ネタバレ↓

「もう決めたんだから、前に進ませてよ。」
「分かってる?」
「分かった。分かってた」

「分かってるよ」ではなく「分かった」だったところに、すごく重さを感じる。おそらくこの時、良多は完全に退路を断ったのだと思う。何もない男が、何もないという事実と向かい合わなければならなくなった瞬間だ。


あとすごく細かい話なのだが…

とても気になってしまったシーン。
しょうもないので、この先は読まないでいただいて大丈夫でございます。

良多と淑子が古新聞を捨てに行く場面。
団地の階段を降りると、老夫婦が会釈をしながら画面を横断する。良多と淑子が老夫婦とは逆方向に歩いて行く。次のショットで2人がゴミ入れに古新聞の束を放り込む。

「いいのこれ?曜日違うけど」
「いいのいいの。誰も見てやしない」
「見てたよ。見てたよ俺のことを」

というやりとり。
そして同じショットの中、不意に画面手前にまた人の横断。

「あ、先生!」

駆け寄る淑子。

全く大したシーンではないのだが、この一連の2ショットがものすごく不自然なのだ。ゴミ捨て場のやり取りを行う為のエキストラの横断。次に流れるように同じ横断で現れる先生。

故意に不自然を作り出す映画ももちろんある。
だが物語を語るのであれば、この不自然さは非常に興ざめだ。

とても小姑的な指摘かもしれない。
だけど、四角く画面を切り取る媒体である映画は、如何に画面の向こうをイメージさせられるかがとても重要だと思う。画面のすぐ外側でスタンバイしている様が見えるようではいけない。
しゃび

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