まりぃくりすてぃ

ジュリエッタのまりぃくりすてぃのレビュー・感想・評価

ジュリエッタ(2016年製作の映画)
4.3
心には希望しかないのに体じゅうが痛い(体調悪めの)今の私に、ジャストな感じに拮抗してきた。佳作映画。
予備知識ゼロで観た。「現在~回想~現在」のシットリ構成、死別の重量の散りばめ、ウジウジ感、わりと狭い人物相関内での「離れた/会った」の適度なリピ、等々が、すぐれて “20世紀後半の日本文学” 的だと思った。こんなタイプの人生物語を読み慣れ&組み立て慣れしてる文学至上主義者の私は、キホン心地よかった。
心地よいわりには体感110分ぐらいあったけど。。

のっけから監督、巧すぎた。
女優さんもハゲ氏もとてもいい。「僕は君の気持ちを尊重してきた」~「これからも尊重して」~絶句、のとこ、台本スゴいし。
序盤からの容赦ない原色攻め(の終始一貫性)については、、文芸香に映画香を付加するプロ芸としてよくわかる。とともに、べつだん攻めてくれなくても本作の場合は物語性だけでイケるのになぁー、と雑味を指摘したく。。(☞色彩については、極私論を後述。)

列車内で、まず当て馬か。巧いね!
本命の、経歴説明らへんはちょっと漫画的。「漁」って言葉が終始浮いてた。まあ、いいや。

学校での講義シーン、好き!!(私も先生になるんだったらこんな教え方するぞ!)
宗教キモし。

家政婦の一筋縄で行かない(尾を引く)キャラの、結局の成功、よし。
そしてハゲ氏、ほんと顔演技とか巧いね。老若主演女優ら完璧な人たちをお餅とするなら、柏の葉としてクルンと包んでくれてた。(余談だけど、柏餅は私はゼッタイにみそあん! 先日、近所の評判の和菓子屋でみそあん柏餅二個買ったら、店主の爺さんがまちがってみそあんとこしあんを一個ずつ包んだ。つぶあんと間違えるならまだしも。世界こしあん撲滅協会会長を長年務めてる私、帰宅後に烈火となったのはいうまでもない。。。)
ラストの音楽、無造作にかぶせるんじゃなく、カーオーディオ(iPod) のスイッチに手指を伸ばしてから、という演出がベターだったんじゃないかな。

で、終わってみたら、「主役のお母さん、充実した人生だったんじゃん?」と私は明るめの気持ちだけ。人間って、幸福になるために生まれてきたわけじゃないもん、全然。あえてわかりやすく若干スピリチュアルな言い方すれば、“心の勉強をする” ために生まれてきただけだから。
だから、平凡そうなふうにも波瀾万丈なふうにも見えるこういう人生、全然OK。悲惨でも何でもなく「当然」の一つです。ドラマな私(たち)、創造性な私(たち)、に追いついてくれる映画、嬉しい。
あ、私の受けた心情的充実感に、極彩色が関係してるかも。色というものが不思議!

ただ、大人女優たち&ハゲ氏とかが完璧演技してて高所安定ルックな画づくり(☜色彩の不思議さ問題以外)も文句のつけどころほぼなかった中、娘役の演技が残念だった。気持ちが全然乗れてないみたいな不十分な言い動きは、何だか大人たち(と物語そのもの)を軽んじてるようにも映った。
その娘役、横顔とかで画的貢献は全キャスト中最高だったかもしれないぶん、意欲的とはとても思えない及び腰な(無意味にクールな)演技が薄くて、疑問符。彼女のせいで、私は娘の側の心情を理解してあげたくならなかった。徹頭徹尾、本作が母の側の物語だったのは、娘を物語が効果的に隠してたからだけじゃない。娘役の演技がぞんざいめだったからでもある。
それと、列車内の当て馬男(悲劇の始まりの爺さん)の演技も、後から見てみると的確じゃなかった。“そういうことをしそう” な影が全然ないよ。心理的に意外に重要な人物だったってことが後半に語られるわけだから、彼の演技の “その場限り” 感もまた、作品の足を引っ張った。
以上の二人がもっと芝居を頑張っていれば、母のつらさの説得力が二割増ししたかもしれない。

ともかくも、充実した映画。


おしまいに、色彩攻めが本作においては(充実の手伝いをするとともに、時々)雑味になっちゃってた件について。
The Beatles 時代のジョージの三大名曲でポールがどういうベースを弾いたか、これを「物語本筋=メロディー等」「色彩攻め=ベース」というなぞらえから説明すると、わかりいい。
Here Comes The Sunでは、ポールは目立とう(耳立とう)とせず自然に弾いた。
Old Brown Shoeでは、ジョージが考案した派手プレイを、忠実にポールが再現。忠実だったにもかかわらず、そのポールのベースがみんなから褒められた。
Somethingでは、ジョージの意志と関係なくポールがやたら目立とうとして張り切りすぎた。特に、大切な大切な唄い出しとギターソロ時に主役ジョージを喰いかねない雑味となって “しゃしゃり出てた”。技術的にもセンス的にもポールが一般リスナーから絶賛されたけれども、ジョージは「ポールは優れたベースプレイヤーだが、あまりにも抗しがたい。一緒のバンドでやりたくない」と発言するようになった。
原色攻めの魔術師ともいわれる?アルモドバルを、私はまだたくさんは観てないんだけど、『ハイヒール』での原色攻めは、後半の留置場内でカンブリア期を迎えたこととかに、ちゃんと意味が強い感じで、Old Brown Shoe的だった。
本作での原色攻めは、やや Something的だったように思う。
ちなみに、Somethingでのポールの独断プレイをジョージが心底嫌っていた証拠に、晩年のコンサートでの同曲の演奏時にステージのベーシストにはポールのプレイを半分もなぞらせていない。同曲は、主旋律と歌詞とギター(それはすべてジョージの手になる)だけで最初から世紀の名曲なのだ。
翻って、この映画『ジュリエッタ』で、色彩の派手さは半分程度にとどめてもよかったはず。物語と主演らの演技が充分にすばらしいのだから。                  

[つたや]