カツマ

美しい星のカツマのレビュー・感想・評価

美しい星(2017年製作の映画)
3.7
世界は、地球はいつか終わるのか、いや、違う。終わるのは地球ではなく、そこで暮らす人類。そう、自ら破滅へと向かう人類を俯瞰的に描くにはもはや宇宙人の視点を借りなくてはならなかった。三島由紀夫は今作の執筆の際、実際に世界の終末を予感した。それは水爆の脅威からより直截的な地球温暖化へと変わったが、潜在的に自爆していくような人類の姿は今もまだ変わっていない。必死の叫びが滑稽に見える時期は実はもう過ぎ去っているのかもしれないが・・。

『桐島、部活やめるってよ』『紙の月』など日本アカデミー賞でも高い評価を受けた作品を次々と世に送り出した、吉田大八監督による三島由紀夫原作小説の映画化作品。監督による作品への愛を情熱へと還元させ、地球温暖化をテーマにした不可思議なSF物語を現代へと蘇らせてみせた。宇宙人から見た人類の愚かさとは、そして美しさとは何か。1962年当時の原作がテーマを変えてもまだ強烈なカタストロフィを予見させるのもまた人類の性のように思えてならなかった。

〜あらすじ〜

気象予報士の大杉重一郎は天気予報が当たらないことで有名で、アシスタントであり愛人でもある玲奈にもその場を奪われようとしていた。しかし、当の彼にその意識は低く、その日もキャスターから予報外れを指摘されるもどこ吹く風であった。
その日の夜、愛人との車の移動中、彼は不思議は現象に遭遇する。運転中、光に包まれたと思った刹那、気付くと彼は一人畑の真ん中で佇んでいたのだ。その合間の記憶はなく、愛人に聞いても全く情報は得られない。その日から重一郎の中で奇妙な変化が訪れ始め・・。
一方、重一郎の家族にもそれぞれに異なった環境の変化が訪れる。妻の伊余子はマルチ商法にのめり込み、長男の一雄は政治家の事務所で働き出した。その妹の暁子はストリートミュージシャンの男を追って金沢まで行ってしまった。次第に4人に訪れたそれぞれの出会いが、不可思議な現象を引き起こすようになっていき・・。

〜見どころと感想〜

原作では冷戦下の水爆への脅威、つまりは戦争兵器によるカタスタロフをテーマとして掲げているが、今作ではそれをより現代的な地球温暖化へとテーマをスライドさせている。しかし、三島由紀夫自身が最も重要視していたと思しき、世界終末論というテーマは強固に守り抜いており、原作へのリスペクトを貫く作りに仕上がっている。原作と大きく異なる点は4人家族の中に地球人が混じっている、という点。そこに吉田大八監督による新たなメッセージが付加されているようにも感じた。

主演の気象予報士役にリリー・フランキー、メインキャストのその家族には亀梨和也、橋本愛などをキャスティング。全体的にサイケデリックな雰囲気漂う中で、溌剌とした亀梨の存在は一種の清涼剤のようでもある。なかでも政治家の秘書を演じた佐々木蔵之介の虚無の演技が最も宇宙人らしかった。

地球を美しいままでおくには大きく二つの選択肢がある。その二つの選択肢を対立する宇宙人という形へと置き換えて、現実を楽観視する人類へと強烈に問題提起する。人類はこれからどんな道を辿るのか。予言するかのような三島由紀夫のカタストロフが、その死の向こう側から不敵に笑った。

〜あとがき〜

かの三島由紀夫による異色作を、作品のファンでもあるという監督が映画化したわけですが、よくぞこんなに商業的ではない作品を完成に漕ぎ着けたなぁと感心するほどでした。
序盤はリリーフランキーのポーズに思わず吹いてしまいましたが、段々物語は余談を許さぬ方向へと流れます。そしてついに・・。

今作は宇宙人はいるのか、いないのか、を描いているわけではないと思います。あくまで今作においてのテーマの主役は地球人という名の人類。もし宇宙人がいたとしたら、地球人はさぞかし不思議な生き物に思えるでしょうね。何故、自らの住処を自らで破壊していくのだろう、とね。
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