まりぃくりすてぃ

ブレードランナー 2049のまりぃくりすてぃのレビュー・感想・評価

ブレードランナー 2049(2017年製作の映画)
4.1
全世界に蠢いてた(この私みたいな)前作ファンに、よ~~く気を遣ってくれてる。
特に、2020年代以降のブレードランナーの世界観から日本が抹消されてたらどうしよと杞憂してた、この私ちゃんら日本人は、ルーティン化さえしてる日本語ネオンや、日本人好みの容姿ともとれるヒロインたち(疑似恋人ジョイ。そして、ペコちゃん女)なんかに、「気を遣われすぎ~」のカスタマー気分モリモリ。
序盤からずっとの重苦しさもまたルーティン。前作にさほど惹かれなかった人たちは苦痛だろうな、と周囲への慈しみも抱きつつ、意識高々の私、ハリソン・フォードの登場をしとやかに待つ。

・・・・・・・・・・・え、
・・・・・・・・・んー、・・・・・・・・そっか。
でもね、・・・・・・・・・・

結論をいえば、ハリソン・フォードが現れてから、バツ。彼のせいでなく、物語がちょっと苦しいよ。プレスリーとか個々の場面はまずまずなんだけど。

あのね、前作はディストピア描写の上手さだけで絶賛されたんじゃないのよ。エンド時の私たちの「こ、こ、これは凄いものを観てしまった!…………」という内臓感覚は、ルトガー・ハウアーからもらったものだったの!!!
ルトガー対ハリソンのあの壮絶な戦いは、戦いなんかじゃなかった。もろに、語り合い。哲学よ。(正確には、最初の一分弱が戦いで、あとはハリソンの逃げ惑いを助演にした、全精神性によるルトガーの独演!)
私たちは、「バトル」「アクション」「バイオレンス」が観たくてバトルランナー2049を観に来たんじゃないの。血や殴打の音なんてどうでもいいの。水攻めにも興味はないの。「あのときに匹敵する本当の崇高さ」が欲しかったの。
前作での、「寿命四年。短すぎる。もっと生きたい。生まれてきた意味を知りたい」のレプリカントたちの叫びは、当然そのまま、私たち人間の心の声でもあった。寿命が四年か数十年かの違いがあるだけで、ほかは一切変わらない。命を燃やし、命を救い、命を終えた前作は、終始「未来」を見ていた。
それに対して、今作の「自分の記憶は本物か。自分は産まれた者なのか、作られた者なのか」という過去へのまなざしは、私たち生身の人間とは無関係。哲学など含みようがない。
同期し娯しむことは、まあ、できる。「アンドロイドに感情は芽生えうるか?」から「アンドロイドに生殖は起こりうるか?」への章チェンジは、確かに面白い。でも、単なるバトル映画にすぎなかった終盤30分には、失望以外やっぱりない。
挙げ句の果ては、「息子」の否定。脚本家さん、それがどうなさいました? ラストは出来損ないのクイズね。つきあいたくない。

っていうわけで、ふわんとした凛々しさの主役ライアン・ゴズリング(ハリソン・フォードの息子としてホント最適じゃん)や、蹴りのきついペコちゃんなど、配役はよしよしだったが、シナリオは結局バツ。
質は高い。

ついでに────
(不良アラシックスでもべつにいいと思うのに)ショーン・ヤングを出演させず過去完了形レイチェルばかりを使い回したのは、サディスティックミカバンドがミカをスポイルしてカエラを飛び跳ねさせたさまに似て、若干感じ悪い。