いの

午後8時の訪問者のいののネタバレレビュー・内容・結末

午後8時の訪問者(2016年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

2017年5月観賞


① 語ることの大切さよりも、話を聴くことの大切さ。わかってもらおうとすることよりも、わかろうとすることの大切さ。それを静かに物語っているように感じた。

話を聴かせてもらうためには、
まずは自分の方から相手を受け容れなければならない。
高圧的な態度では、相手は自分に語ってはくれない。
相手の背中に、静かにそっと手をあて、
相手がゆっくりと深く呼吸をし始める。
話してくれるのは、そのあとだ。

話を聴いてくれる人がいることで、語った人は救われる。

この映画にはBGMなど必要ない。
ささやくような声を聴き取るためには、必要ない。


② 主人公ジェシーの行動は、私なりによくわかる気がした。
例えば、
草食系のシンマイ君の行動に、軽くいらつき、少し厳しく先輩ヅラしてアドバイスする。シンマイ君が、自分に不服そうなそぶりをみせてから初めて、真剣に彼と向き合おうとする。なんかもう、よくわかる。
午後8時の訪問者もしかり。
その時の、自分なりの、わりときっぱりとした、とっさの判断が、間違いだったと気づいてから初めて、真摯な姿勢となる。
わかるわかる、と思う。

そのあとの主人公ジェニーの行動は、誰にどのように言われても、静かに熱くて、とりみだしたりしないところが本当に凄い。私も意地になってやり遂げたいと思ったりするけど、でも、誰かに批判されたり脅されたりしたら、萎えてしまったり、感情的になったりしてしまうもの。きっと。


どうかこのあと、ジェシーが自宅に戻って、安らかな時間を持てますように。話を聴く人であった主人公ジェシーの話を、誰かが聴いてくれますように。ジェシーの涙をそっとぬぐってくれる人があらわれますように。ジェシーを抱きしめてくれる人があらわれますように。
心から、そう願わずにはいられない。


③ まずは「ドア」を開けてみよう。「ドア」を開けてみるところから始めよう。
監督からのメッセージだと、私は受け取った。 この不寛容な社会において、ケン・ローチや、ダルデンヌ兄弟が、ちゃんと揺るぎなく立ち続けてくれていることに、途方もなく励まされる気がしています。光を射してくれて有難うございます。自分勝手に、そう受け取ってしまいました。


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*「自分のせいだ」と誰に対しても言えるジェシーに、惹かれまくりました。
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