亘

セールスマンの亘のレビュー・感想・評価

セールスマン(2016年製作の映画)
3.9
【相手を許しきることはできないのか】
エマッドとラナは劇団に属する夫婦。新居に引っ越したある日、ラナが侵入した男に暴行される。なかなか妻の心の傷が癒えない中エマッドは犯人探しを始める。

1つの事件をきっかけに変わってしまった夫婦の生活を軸に、憎しみと復讐やすれ違い、そしてイラン社会の問題を描く。妻ラナの暴行事件は夫婦に暗い影を落とし、すれ違いや思いがけない事件を生み出す。夫婦のすれ違いのや犯人捜しの行方が終盤までの主な争点だけど終盤犯人と直接対面する場面からは一気に各人の思惑が交錯し雰囲気は重くなりどう転んでもしこりが残る感じで見ていて辛かった。終盤のこの感覚は監督の「別離」を見た時の感覚と似ていた。

エマッドとラナは、住んでいたアパートの老朽化が原因で急遽新居を探すことになる。少しでも早く家を見つけたい状況で、彼らは劇団の同僚ババクがある物件を紹介する。事情により前の住人の持ち物が残っているが、彼らは家を見つけたい一心でその家に入居、これが悲劇の始まりだった。ラナは男に襲われ、心に深く傷を負う。彼女が事件を表沙汰にしたくない一方でエマッドは警察に通報し事件を決着させようとするのだ。

中盤は主にこの2人のすれ違いが描かれている。ラナにしてみれば、オートロックを開けて男を入れてしまったのは彼女自身というところに負い目がある。特にイスラム社会では姦通罪は重罪だし、警察沙汰にしたらラナにも問題があるとみられるかもしれない。それに心の傷が癒えてない。一方エマッドにしてみれば早く犯人を見つけたい。また、この2人の対立は、[男性:問題を解決したい、女性:共感してほしい]という男女の心理の違いもあるのかもしれない。

エマッドは犯人のトラックを手掛かりに犯人を見つけ、犯人捜しは終わる。これはこれで解決であるけど、怒りの収まらないエマッドが犯人に罰を与えようとすることで展開は混沌とする。許しを請う犯人と許したいラナ、そして許せないエマッド。彼は家族の前で犯人に恥をかかせようとするが、想定外の事件により未遂に終わる。それでも怒りの収まらないエマッドは"精算"をしようとするが、さらに取り返しがつかなくなる。どこかで相手を完全に許すことができたらこの連鎖を止められたのに、なぜ許しきれなかったのか。彼は"精算"とは言ったが、それは決して"精算"ではなくむしろ新たな"負債"を生んだ。ラストシーンでラナの顔の傷は治っていたけど、2人の表情は死んでいるようだし、心には永遠に負債が残るだろう。

印象に残ったシーン:ラナとエマッドが喧嘩をするシーン。エマッドが犯人と対面するシーン。犯人の家族を呼び寄せるシーン。

余談
ファルハディ監督は、この作品でアカデミー賞外国語作品賞を授賞しましたが、トランプ大統領の出したイスラム圏の人々の入国禁止令に反対して授賞式を欠席しました。代わりに式では、イラン系アメリカ人の女性宇宙飛行士がスピーチを代読しました。
亘