岡田拓朗

ワンダー 君は太陽の岡田拓朗のレビュー・感想・評価

ワンダー 君は太陽(2017年製作の映画)
4.7
ワンダー 君は太陽(Wonder)

やさしさの半分は勇気でできている。

今までたくさんの映画を鑑賞してきたけど、こんなに涙が溢れた映画は初めてかもしれない。
本当に冒頭からずっと泣ける。
考えたり想像しながら観れば観るほど涙の連続。
それだけ内容と感動の詰まった傑作だった。
こんなに人の優しさと温かさが広く深く感じられる作品はそうそうない。
いじめを過度に描いてないし、登場人物全員がそれぞれの愛おしさを持っていて、背景や環境もちゃんと描かれてるのがかなり好感持てた。

遺伝子関係の病気が原因で顔を整形せざるを得なくなり、顔が変形してしまった一人の少年(通称オギー)が主人公。
両親はずっとオギーを学校に通わせるのが心配で、家庭学習でオギーに教育をしていた。
オギーが5年生になる頃に、意を決してオギーを学校に通わせることを決意した両親。
両親のみならず、オギーも不安で頭がいっぱいだった。
自分の顔が「普通」じゃなかったからだ。

この「普通」というのがとにかく厄介。
人は多種多様で、そもそも「普通」という概念は人に対して使われるべきじゃないし、普通があるから人はそれに縛られて苦しめられるし、そうじゃない人を馬鹿にして誤ったことをしてしまう。

今作では、子供がいじめに至る原因を、普通でないことと嫉妬心から来るものとし、その両側面からまず人、特に子供の弱さを描いている。
それを描きつつ、周りを変えるのもまた、いわゆる普通ではない人で、みんなと同じじゃないからこそ変えていけるものがあることをも訴えてるのが本当に素晴らしい。

それでいて、顔(外見)でなく心(中身)にその人らしさが詰まっているのだから、そこを大切にしないといけないことを、あらゆるシーンで呼び覚まさせてくれる。
(心を見ると誰もが違うわけだからそもそも普通という概念がなくなるはず。)

それだけでも素晴らしいと思ったのに、オギーを軸に変わりゆく周りと家族それぞれがそれぞれの立場からできることをし、オギーを本当に思う温かさが色んな視点から感じられる。

その中で周りからの見方などに負けてしまい、オギーに対してしてしまう周りの誤ちとそれを知ったときの喪失感や苛立ちを隠せないオギーが作中に含まれてるのもとてもリアルでそれが人間の弱さである。

子供たち(というよりも人)は元来、こんなにも優しくて温かい。
それを活かすも殺すも本当に関わる大人(今作だと教師とそれぞれの親)次第であることがひしひしと伝わってくる。

子供は誤ちを認めて謝ろうとしているのに、それを庇うような愛情の方向性を間違ったモンスターペアレントが人をいけない方向に導いてしまうことが改めてわかるシーンがあった。
子供は関わる大人に導かれて育っていく。
だからこそ子供に関わる大人の責任がとてつもなく大きいものであることも今作を観てより感じた。

オギーの周りは優しさや温かさの中に誤ちを繰り返しながら、オギーは外の世界に関わることの楽しさの反面で裏切られることの辛さや苦しさを感じながら、正しくなり成長していく。

「強さは正しさの中で発揮されないといけない」
本当にその通りだ。
誰かが負の感情になるような言動は何かが違うと思わないといけない。
そんな不変で人として本当に大切なことをしっかりと訴えながら、あらゆる人の優しさと温かさが詰め込まれ、特別な子を中心に周りの人の世界が周り、みんなが笑顔になる。

最後は不変になるであろう幸せに、空間全体が包み込まれていて、そんな空間を作ったオギーが賞賛される。
そして、それを全員が祝福する。
そんなラストは特に涙が止まりませんでした。

今作は、全ての子を持つ親と先生に鑑賞して欲しい珠玉の傑作映画だった。
本当に鑑賞するのを、必須にしてもいいくらいだと思う。

P.S.
今作は先生たちがみんな本当に素晴らしかった。特に校長先生が!
こんな素敵な先生がいる学校ならぜひ通わせたいとも通いたいとも思える。
日本にもそんな先生が増えたら…いるのはわかってるけど、できるだけ多くの先生がそうなって欲しい。
そうなったら日本の教育はもう少しマシになるはず。
そして、子供のことについてあまり考えたことなかった自分も今作を観て、将来は子供が欲しいと切実に思えた。
岡田拓朗

岡田拓朗