まりぃくりすてぃ

結婚式のメンバーのまりぃくりすてぃのレビュー・感想・評価

結婚式のメンバー(1952年製作の映画)
3.8
原作にたいへん忠実で、原作よりも3倍ぐらい面白い! 脚色賞・監督賞・主演女優賞(少女フランキー役)・助演女優賞(家政婦ベレニス役)マチガイない。ついでながら、原作者マッカラーズに主演者は顔立ちが似てる気がする。(目の大っきさが足りないほかは。)
全登場人物の喋りのハキハキは、まるでアメリカ合衆国の民度の高さと正比例?(☜あまりにも褒めすぎか。。)

でも、原作のプロットが(キラリとする思想性はあるものの)そんなに面白くはないから、さすがに中盤ぐらいで会話劇の継続(その多くが台所にて…)に飽きてきちゃう。作品賞はムリ。
歌~結婚式のところはお見事なヤマだし、ラスト近くにヘビーな波瀾も来るけど、結局の整った感(充足感)はアルプス帰りよりも高尾山帰り程度かな。あと、“緑の狂った夏” っていうキーワードをモノクロ画面からあまり感じ取れなかった。
俳優たちがずっと汗だくだったのは、賛成。

作品の多くに異形(外面奇形または内面奇形)を登場させてた問題児?マッカラーズは、ヘッセのみずみずしい歴史的傑作『郷愁(ペーター・カーメンチント)』っぽく万人の胸打つ自伝的なのを書きたくて “12歳の地図” みたいな副題気分でコレに取りかかったけど、表現力も洞察力も止揚力も陽キャ自然児力も全部足りなくて、いつもの通りに異形的な主人公を提示しただけで終わったっぽい。
(ただし、そんな惜しい手鏡的無成長小説が直後にカポーティやサリンジャーを誕生させていったわけだから、前後の他作家たちの各人気作の下位互換とまで貶めることはできない。)
で、これ、“多感すぎる12歳の少女の小さな嵐と、ドラマティックな人生を歩んできた黒人家政婦の包容力との、やりとり” なんていう若向きな話じゃない。ぶっちゃければ、“B群・境界性パーソナリティ障碍の人間を、健常者がどう相手してあげ、そして、いかに救いも本質的変化もなくしみじみとバラケタか” だけの話だ。思春期女子映画、という目でこれ観てはいけない。
小説の時は、実質一人称の三人称文体そのものが一定の人格を持ち、それが多少恭しく主人公を描いていったことで、そんなにヘンなやつ感はなかった。映像化されたことで、実質的にヘンなやつ以外の何者でもなくなった。動画は、物事の本質を晒す場合がある。
くどいようだが、これ、思春期の映画じゃない。第二次性徴も語られないし。パソ障の映画だ。

原作とのわずかな違いは、、、、、
① 少女の肩に乗ってくる猿回しの猿、というめんどそうな場面を省いた。
② 第二次大戦中の話だが、ドイツ人や日本人への差別的?言及をめんどいから?一切削った。
③ わかりやすい轢き逃げ事故を加える一方、不要にグロい「配偶者に片目を抉られて義眼になった」を削った。
❹ 台所での最高ヤマ場面、「三人同時落涙」を、めんどすぎるから「魅力的な歌唱」に替えた。(よかった! ここほんとよかった!!)

ジンネマン監督はとりあえずマエストロだろう。。。。



◇メモ(普遍性がなくもない、原作の記述)

「みんながみんなばらばらで、しかも縛られてるってこと」

「自分自身がいちばん憎らしかった。世界中の人間が死ねばいいと思った」

「監獄に入れられて壁をがんがん叩いてるほうが、目に見えない監獄に閉じ込められているより、ましだった。世界ははるか向こうに遠ざかってしまった」

「あの夏ごろの不安が戻ってきて、自分が世界と切り離されているという、あの感じ」