岡田拓朗

そうして私たちはプールに金魚を、の岡田拓朗のレビュー・感想・評価

4.0
そうして私たちはプールに金魚を、

先生、人って退屈で死ねますか。

第33回サンダンス映画祭ショートフィルム部門のグランプリ受賞作品。
2012年に埼玉県狭山市の学校でプールに400匹の金魚が放流され、世間を騒がせた実話を原案にしたショートフィルム。

27分という短い作品の中に、これでもかというくらいに様々な要素が入り乱れていて、ロックンロールであるかのごとく青々しくてエモーショナル。
それが故の中毒性とグッとくるものがある。

舞台は埼玉県狭山市。
海がなくて狭いという字が入るいかにも窮屈で不自由さの感じられるこの町が嫌いな4人の女子中学生たち。
まあその名の通りではあるが、これはあくまで比喩であり、そもそも彼女らの人生と取り巻く環境そのものが狭山市みたいな窮屈さと不自由さの相まった閉塞感のあるものであり、そこに対して抗うこともできずに、ただ時の流れに身を任せて日々を過ごしていることが表されている。

そんな生活の中で溜まってきてるもやもやや鬱憤がわかってくる前半に、半ば諦めが入り、ここからは出られないことを悟り始めていきもする少女たち。
その中が彼女らにとってのこの世の全てに感じている。

抜け出したいと思ってるのに抜け出せない。
それはまさにダンジョンである。
離れることもできなけりゃ、一人で行動を起こすこともできないから何となく一緒にいて、そうしたら自然に同調圧力ができてきて抜け出せなくなり、物足りなくてもまあ楽しくないわけじゃないから結局ずっと一緒にいて…それが友達なんだろうかと思いながらもまあそういう友達の形しか知らないからそういうことにして。

一人になるのが怖いし嫌やから、なんか微妙やけど一緒にいる人を作って、何となく安心して友達ということにするこの構図はまさに、同調圧力のもとにできる盲目的な友達の形の一つであるなと思った。
誰もが経験があるのではなかろうか。

奇跡が起きないと出られないダンジョン。
全部比喩で特異な表現が並べられる。
まあいずれにせよハードモードでよっぽどじゃない限りは出られない。
それはモデルにスカウトされるとか著名人に引き揚げてもらうとかそんなところだろうか。
うん、よっぽどの奇跡。まさにハードモード。

以下引用。
----
どうせ出られないのだこのダンジョン
奇跡が起きないと鍵が開かないシステムなんだ
例えばさ
14と15の間に新種の数字を発見するとか
ちょうど3時に猫に会うとか
服がたまたま信号機とか
トイレの天井にチワワの霊を見つけるとか
朝日と同時にC7鳴らすとか
そういう奇跡がいくつか続いてやっと鍵が外れる
ハードモードのダンジョンなのだ
----
見事に絶妙な感じで抜け出すことの難しさが表現されている。

狭い世界の中で泳ぐ金魚たちを見て、「キレイだと思って」を建前としてプールに流そうと決したが、真意は金魚たちに自分たちを重ね合わせて、窮屈な狭い世界から救って、広い新しい世界を見せてあげようとしたのではないか。

これは彼女らにとって一種の賭けみたいなもので、これによって何か違った世界が見えたら、彼女らも広い世界への一歩を踏み出せたかもしれない。

でも結局そうはならなかった。
何も変わらずに真っ暗なままでついに変わることはなく、金魚たちがダンジョンを抜け出せたわけじゃなかった。

以下引用。
----
私たちはいつも「結局」だ
「結局」真っ暗で
「結局」綺麗な金魚は見れなかった。
「結局」次の日には事件になっちゃって
「結局」バレて怒られて停学になった。
「結局」そんで夏は終わった。
「結局」受験もそこそこにやって
「結局」そのままどうでもいい高校に入る。
「結局」私たちはこの町から出ないだろう。
「結局」何も変わらない。
「結局」私たちがやったことに意味なんて一つもない。
「結局」……
----
この「結局」から今作最大の諦念が詰まっていたのである。

それでも結局人って退屈で死ねない。
何となーくでもそれなりに本気で生きているし、生きていたいと心の底では生きることを渇望している。生きるためにでも生きる。

あらゆる比喩や表現が織り成す閉塞感ある世界の中で悶々と生きる女子中学生らの姿を見事に投影し切っている作品。
余韻が物凄く残る素晴らしい27分でした。

P.S.
あらゆるものを抱える普通じゃない普通の女子中学生たちを完全再現で演じ切ったキャスト陣が凄い!
これはもはや彼女たちそのものなのかもしれないとすら思った。
主題歌の「17歳」が絶妙にハマっていき、より独特な世界観の創造を助長している。
岡田拓朗

岡田拓朗