HicK

グッバイ・クリストファー・ロビンのHicKのレビュー・感想・評価

4.1
《戦時中の"希望の光"。その代償が痛々しい、プーさんの誕生物語》

【隠れた名作?】
主演ドーナル・グリーソンとマーゴット・ロビーという話題になる世界的大スターの起用と「くまのプーさん」作者のA.A.ミルンの伝記という題材を取り扱っているのに日本では劇場公開されていないという謎。もったいない。この作品はクリストファー・ロビンの純粋さと、それに反し彼の置かれた残酷かつ厳しい環境の落差が心に突き刺さる内容だった。

【ダークな上流階級】
序盤で父ブルー(A.A.ミルン)と母ダフネの人物像が描かれるのだが、ブルーの愛情の欠落やダフネの傲慢さがまぁ酷い。上流階級というシビアな世界が2人の性格を変えてしまった結果だろうが、大事な物が欠落してしまっている夫婦の描写が、ダークで波乱の伝記の始まりという匂いをかもしだしている。ダフネ役のマーゴット・ロビーの高飛車感が素晴らしい。

【不器用な父と息子】
子供に無関心な父ブルーと息子ビリー(クリストファー・ロビン)がやっと打ち解け、一緒に遊ぶシーンが微笑ましい。序盤からのピリついた空気がとても優しくなる。美しく撮られたアッシュダウンの森のキラキラした光景にもにも癒された。遊びの中に散りばめられた「くまのプーさん」の元となるエピソードも面白い。

【ビリーは戦時中の希望に】
2人の関係性が良くなるにつれて、息子が父ブルーの想像力を広げ、ついには戦争のトラウマを消し去ってくれる。やっと心が通い始め、流れるあたたかい時間。そして生まれた名作「くまのプーさん」。ブルーが息子によって救われたのと同じように、戦時中の世界にもビリーことクリストファーの純粋な心が必要であった事が「くまのプーさん」を怪物化させていく。

【ビリーの戸惑い】
キラキラしていた世界が段々と不穏な空気に包まれ、次第に「何かがおかしい」と感じていく息子ビリーの描写が痛々しい。想像力豊かで純粋だった彼が、段々と周りに気を使っていく姿や、本の中の自分を演じるという事を自然と覚えていってしまう様、「こうした方がいいんだよね」という居心地の悪さを感じながらも父の愛情を欲するが故に周りに合わせる姿が非常に切ない。その表情を表す子役の演技も素晴らしい。

【青年ビリー】
青年期を迎え、物語の終盤でビリー役の俳優が変わるのだが、たぶん相当なプレッシャーだったろうと感じる。彼の登場時間はわずかなのだが、ビリーが背負ってきた物全てを彼に語らせる。学校でのいじめ、彼の人生を犠牲に成功を勝ち取った父、薄っぺらい愛情の母へのコンプレックス、また母のせいで一番愛していたナニーであるヌーを失ってしまった悲しさ、全ての感情に押しつぶされる様を非常によく表現していた。そして、父への反抗とも言える兵隊志願には心が痛くなる。

【ヌーが素敵】
劇中はナニーのヌーに感動させられる。ミルン家を冷静に見て精一杯の愛情をもってビリーに接する。ブルーとダフネに唯一反論した場面の、「あなたは息子を見世物にして本を売っている」という言葉や、母ダフネの「私が痛い思いをして産んだのよ」に返した「牛でも子供は産めます」というセリフは、ダイレクトに心に突き刺さる。

【ドーナル・グリーソン】
主役のブルーを演じたドーナル・グリーソンは終始好演していた。戦争でのトラウマを抱え、不器用な愛情表現や売れ出してからの「見えない恐ろしい何か」を徐々に感じていく姿など繊細な演技に魅了された。特に息子と接する場面は動物が苦手の人が犬と遊んでいるかのようにも見えて、表現が素晴らしかった。

【素晴らしい日本語字幕】
日本語訳は「くまのプーさん」出版時当初の訳を用いていて、100エーカーは「百町」、ピグレットは「コブタ」、ティガーは「トラー」など出版当時の訳に敬意を表すかのような工夫で日本語演出監督の思いが伝わってくる。

【総括】
戦争に賛同しないという信念だけは持ち続けていた父は、結果、息子の人生と引き換えに「くまのプーさん」という戦争の中の"光"を世界中に生み出す事に成功したという皮肉。実際、息子ビリーの不運はこれ以上だったそう。ディズニーによるキャラクター化に埋もれてしまった史実をこの機会に知る事ができて本当に良かったと思う。「くまのプーさん」を形作った温かな世界観もありつつ、その中の"不穏さ、痛々しさ"がとても魅力的な物語だった。
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