けんたろう

ロニートとエスティ 彼女たちの選択のけんたろうのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

宗教を元にした、とても崇高な人達のおはなし。


ラビが言った。
選択とは自由であり、自由とは重荷である。

本作に登場する人物、ロニート(レイチェル・ワイズ)とエスティ(レイチェル・マクアダムス)。一人は自らの道を進み、もう一人は逃れられない運命の中に残った。後進的なコミュニティの中で、ドヴィッド(アレッサンドロ・ニボラ)を含めたかつての親友3人の思いが交錯する。
そんな中、冒頭の言葉が長く長く響き続ける…

おそらくラビの娘ロニートは、後継者たるドヴィッドと結ばれることを周囲から望まれていたのだろう。
がしかし、それを良しとしなかったロニートはNYへ発った。彼女にとって最善の道であったに違いない。

ところがロニートが街から消えたことで、残った男と女…ドヴィッドとエスティが結ばれることになった。
帰還した初日のロニートの驚きは、自分の選択が思い通りの結果を伴わなかったことに対してだろう。

ユダヤ人と血についてだが、親がユダヤ人であれば自分もユダヤ人だという話を中学か高校かで聞いた覚えがある。
それが正しいとしたら、ロニートはあの町から精神的には一生抜けることの出来ない運命にある。
彼女がどんな選択をしようと、死んだ父へ愛を伝えられなかった悔しみも含めて、それらが重荷にならないことはなかったのだ。

一方のエスティだが、伝統の中で生きざるを得ない、ここから出ていくことはできないとあう状況にあるため、渇望するものといえば自由である。
選択の権利が無かった彼女にとって自由こそ欲しかったもの、ロニートこそ共になりたかった人であったのだろう。

さらに最も純粋なドヴィッドはドヴィッドで悲しい。正しく清いが故に彼女らと相容れない悲しさ…

このむず痒さはどこへ吐き出したらよいのだろうか。答えは何処に。
先の見えない中で、再び冒頭の言葉が現れる。ラビの弟子にして、後継者となるドヴィッドはついに見つけたのだ。
「人間は自由だ!」
親孝行もできず、また親友を袋小路に追いやってしまったロニートへ。はたまた自由を奪われ、しきたりの中に縮み込められたエスティへ。
「人間は自由だ!」
この言葉が2人をどれだけ元気づけただろう、この言葉が2人をどれだけ励ましただろう、この言葉が2人をどれだけ救っただろう。

「自分は後継者になるに足らない人間だ。」
とは言っていたが、ドヴィッドよ。貴方こそ真に真の後継者ではないか。

始めの彼女たちの選択も、終わりの彼女たちの選択も、事柄のみで捉えるならば全く同じものである。
だが、その内実はまるで違う。
彼女たちの選択…血や宗教による文化の美醜を唱え、その上で人間の尊厳を謳った全く素晴らしい映画であった。