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散歩する侵略者のKSatのレビュー・感想・評価

散歩する侵略者(2017年製作の映画)
4.3
黒沢清の映画だから、まあ、いつも通りの黒沢清なんやろなあ、と思ったら、想像を絶するほどに黒沢清だった。開始10分で笑いが止まらない。むしろ、全く笑わずに真剣に観てる他の観客は皆、バカなんじゃないだろうか?

だが、戯曲が原作であることを差し引いても、これほどまでに奥深いテーマのあるストーリーを楽しませる黒沢清映画は前例がないのではないか?ようやく、ストーリーが演出に追いついた。

侵略だなんだといってはいるが、要するに自己と他者の区分、いや、シニフィアン/シニフィエについての噺だった。まさか、黒沢清の映画で記号論の噺になるとは。記号的な映画ばかり作ってはいるが、記号論そのものを映画にしたことはなかった筈だ。

同時に並行して描かれてゆくのは、破綻した夫婦が逆行的に愛を取り戻してゆく過程の物語にほかならない。黒沢清は「CURE」以降、特にここ10年、「叫」、「トウキョウソナタ」、「岸辺の旅」、「クリーピー」と、夫婦を様々な視点で描いてきたが、本作の夫婦愛ほどストレートに美しい夫婦愛はないだろう。ラブホテルまで出てきちゃうのだから(ただし、そのベッドのシーツが全く乱れていないことに注目)。

バカみたいに感情的な長澤まさみの演技は、黒沢清映画らしくないミスキャストに思えるが、よく考えたら「CURE」の役所広司的な笑いを孕んでいる。一見すると浅野忠信のようにも見える松田龍平は、やはり「CURE」における萩原聖人にそっくりだ。

突然開くドア、揺れるカーテン、廃墟、空を飛ぶ爆撃機、スクリーンプロセスを用いた車内場面、打ち捨てられたダンボール、広場に固まる群衆、荒野を歩くキャラクターの横移動撮影、田園地帯を走り抜ける大型車両など、黒沢清映画でお馴染みのイメージのオンパレードであり、一見すると、これぞ集大成、といった印象を受ける。

だが、新しい要素として、OSMOを駆使したFPS的な撮影がとんでもない。これで360度パンなんかをやるものだから、画面の歪みが半端ではない。60年代のアナモルフィックレンズによるパンを髣髴とさせる。

また、従来の黒沢清映画の廃墟は人が少なく殺風景だったのに対し、今回は、「人で満ち溢れた廃墟」が出てくるのも、新しいといえるかもしれない。

同時に、ある種の古めかしさも見られる。「いやんなっちゃうなあ」をやたらいう長澤まさみや「ダサい」を連呼する恒松祐里など、女性キャラクターが完全に80年代。たびたび流れるあの曲は、やはり80年代90年代のダニー・エルフマンのサントラのようだ。黒沢清は完全に原点回帰を果たした。