渇き切った気だるい生活
少しずつ冷ますコーヒー
何度も叩き潰した現実
なけなしの報酬
ヘッドフォン越しの声
線路沿いの熱い視線
求めたって今日も音信不通
容量ギリギリの感情
人生は選択の連続
芸術は心の洗濯
感想です。
コーヒーのソーサーって元々は、本作の主人公がやってたみたいに、コーヒーをカップから溢して冷まして飲む用の食器らしいです。昔の西洋人ってクッソ猫舌な上に、冷めるまで待てないせっかちさんだったわけですね。
本題に入る前にどうしても言及しなければならないことがあります。ゴキブリ注意報です。なかなか立派なやつが、なかなかの時間クローズアップされます。F*****CK!!
さてさて、なぜかターゲットにされた夫婦の珍妙な巡り合わせを描く本作。
心にゆとりがなければ、Gに抱いた感情のように叩き潰して唾を吐きたくなるような日常さえ、人は芸術の力で乗り越えていきます。
ソーサー、チャイ、瓶コーラ、ペットボトル、バケツ、、芸術を通して増えていく許容量。
でも、芸術の力を持ってしても、Gの不快感は簡単にキャパを超え、私は絶叫の中で殺意と絶望の坩堝にはまるのです。