海

A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリーの海のレビュー・感想・評価

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はじめて会ったはずのあなたや、はじめて訪れたはずの場所に、以前にもどこかで出会っているように感じることがある。ひどく懐かしくて、離れがたい。ひたすらに、目で見た記憶、耳で聴いた記憶、指で触れた記憶を遡る。あの瞬間、わたしは人間でも動物でもなく、幽霊になっているような気がする。出会う前のいつか、あなたの名前を呼んでいたような気がする。笹井宏之さんのこんな短歌を思い出す。「ひたすらに瞳の奥を確かめる あなたは炎かもしれぬから」わたしは物心ついた時から、大人になった今までずっと、ここには居ない命や、やどらないはずの何かにやどる命について、考え続けている。過去と未来が混在し今があるのなら、死んだ後の命も、生まれる前の命も、生きているわたしと共に存在しているということであり、そしてわたしの方もまた、幽霊の一人なのだと思う。生前の愛の記憶は死者を盲目にさせ、悲しみや怒りのエネルギーが物や人に影響を与える。だけれどそれは死者だけに限ったことではない。自分のそれや、誰かのそれのために、幾度となく立ち止まっては見つめ続けてきた。わたしは生まれて間もないころ、大きな病気をした。脳の病気だった。障害が残ったとしても生きているのならそれだけで奇跡のようなものだとお医者さまも言ったそうだ。その時ただ一人で、わたしの命を信じていてくれた母が居なければ、わたしは今こうしてここに居ず、幽霊や運命について考えていなかったかもしれない。見えずして相手を包み、足も無くどこへでも駆けていくもの。ひとの祈りや願い、心と想い、それを揺るがす見えるもの/見えないもののすべてに、一歩ずつをようやくすくわれて、ゆっくりとほどかれて、そうやって生きてきた命がわたしだ。わたしにとって、誰かの語る「ゴーストストーリー」だけが純一無雑な「ラブストーリー」であって、おそろしいはずのものが同時にこんなにもいとおしく目をそらせないものであるその理由は、わたしが、生命に紐つく目には見えない何もかもが、わたしたちとわたしたちに属さないものの境界を越えて、円になりここに存在しているということを、知っていたからなのかもしれない。浴室の鏡で自分の裸を見るときに、「きれいだ」と思う。生きているからだはこんなにもきれいだ。これは誰かに見せるためにあるものだろうし、傷を付けたり皺を刻んだりするためにあるものだろうし、本当はそのどちらでもないのだろうし、それはことばに音があるのと同じで、魂にも肉体がいる。ことばの音とは、心に通ずる唯一の抜け道であって、からだとは、星をつなぎ生まれる星座のようにわたしとあなたを結ぶ光である。わたしたちが、いとおしいものに唇を寄せずにいられないのはなぜか、背中にある黒子の数を夜の間ずっと数え続けたくなるのはなぜか、かじかんだ指先を両手で包み込んだり、そうやって数万回の夜を繰り返しながらも、それでもたったひとつを抱き続けようとするのはなぜか。ここは子供も老人も繰り返し繰り返し生きている世界。なぜ唇はばらの色をして、なぜ力を入れないからだはやわらかいか、なぜ、同じ夜が決して同じ夜ではないことをわたしもあなたも知っているか。なぜここに居るか。なぜここに居られるか。それ以上の、愛や運命への問いかけは無い。あなたに問う「なぜ」が、そのままでこたえだ。あなたがいつかどこかでひとりになったとき、思い出す歌があるだろうか。わたしはそれになりたい。あなたが聴く前から歌っていた歌になりたい。あなたの泣きつかれたからだにそっとシーツをかけられるように絵に描いたようなゴーストになりたい。あなたが永遠の眠りにつくその一瞬前まで、あなたに触れ続けるやさしいひかりでありたい。包み込むいのちでありたい。
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