Oto

サスペリアのOtoのネタバレレビュー・内容・結末

サスペリア(2018年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

同じ映画を劇場で二度観るなんて人生でもめったにないけど...それくらい衝撃的で尾を引く。
2回目を観て気づいたのが、スージー=マザー・サスペリオルムであるヒントはずっと提示されていたこと。
マザー・ブランが言うには「踊りは作者を体内に取り込んで表現するもの(=ダンサーは容器)なんだけど、スージーだけはリハでも自由に踊ることを許され、公演でも一人だけ白塗りの顔で踊っていて、夢を乗っ取られたときも「自分が誰かはわかっている!(I know who I am!)」と叫んで拒絶していた。つまり、他の女生徒たちとは違って、マルコスの容器ではなく、マルコスに取って代わるべき中身=「本当のマザー・サスペリオルム」であるということ。スージー母の部屋にあった「母は全てに代わるが、何も母とは代われない」もこれの伏線。

一度目を観て解説を読んだときには、ブランは善であり、それを受け継いだスージーが聖母マリアとなってマルコス派閥という悪を殺したように見えたんだけど、これは誤りだったみたい。
現時点での解釈は、ブランも善とは言えず、スージーの才能に気づき、それを利用して自らがマルコスの位置を奪い取ろうとしていたという説。そうでないと、オルガやサラを傷つけた理由の説明が付かない(マルコスを倒すためなら多少の犠牲は仕方ないという考えだとしても善とは言えない気がするし、その制裁が終盤だったのかもしれない)し、儀式でも中断しようとしていた。

さらにスージーは、途中から魔女に変わったわけではなく、もともと魔女だったんだろうなと思う。幼少期から「ベルリンには偽の魔女がいるからあなたが行かなくてはならない」というお告げを受けていて、だから能動的にブランに歩み寄ったのだと思った。メノナイトで(アーミッシュではなく)、母から虐待を受けていたこととも繋がるし、光は聖母の魂だったのかも。「逃げ出さないで立ち向かう」というホラー映画に新たな女性像を作っているという評論も面白い。 ある種の選民思想にも見えたけど、導かれつつも結局は自分の意思で戦っていたしそこが好き。
https://theriver.jp/suspiria-explained/

ラストの解釈は「観客の記憶を消している」という説も面白いと思ったけど、「ベルリンの壁を壊す魔法をかけている」という説が自分の中では有力。さらには「その先の現代という分断の時代における、あらゆる壁を壊す魔法をかけている」ということも考えられる。
魔女学校の内部、当時のベルリン社会、現代社会どれも同じことが起こっていて、結局「自分だけ良ければいい」という意識の人はマルコス派閥のように制裁を受けている。トムヨークも"All is well as long as we keep spinning here and now dancing behind a wall(壁の中で踊っていればあなたは安全)."と歌っている。
死ぬ前のマルコスが「これは虚構でも芸術でもない」と叫んでいたのも、単なるおとぎ話ではなく現実に起こっていることだということを伝えているのかな。「魔女狩りがユダヤ人の虐殺につながった」という理論を発表している歴史学者もいるくらいらしいけど、この映画が描く政治はおまけではないと感じた。

町山さんがこの映画の主人公は精神科医のクレンペラー=「ドイツの悲劇の罪を背負ってしまった人」なんだと言っていたけど、妻のアンケも患者のパトリシアも彼のせいで亡くなったのではなく、悪い魔女やナチスのせい(=「私たちが必要とする恥と罪はあなたのものではない」)。なので、それを忘れさえて癒す聖母がスージーだけど、記憶ごと消されてしまう悲しさが、思い出さえも怒りに変えてしまったナチの罪を際立てているし、AとJの二人の愛が残っているのは泣ける。
https://youtu.be/Dx-vToCf52M

ティルダの1人3役も明確な意図があるんだろうと思ったけど、綺麗にまとめられていたので書かなくていいや。https://theriver.jp/suspiria-tilda-explained/
一方で、1977年版に出ていたジェシカ・ハーパーを起用している理由がいまいちわからなくて、オリジナルと同一の人物だとすると繋がらないし、単なる友情出演なんだろうか?。
もはや描写されている魔女自体が全員幻想で、生徒やクレンペラーは記憶をなくしたのではなく、もともとそんな事実はなかったという説もありえるなーと思った(『コクソン』を観たときにもこんなことを思った)けどそれを言い出すときりがない。

まぁこれだけの情報量を1回で理解するのは不可能に近いし、魔女がオチになっていた1977年版とはほぼ別物になっていたのでダリオ・アルジェントが怒るのもわかるけど、深さでいうと圧倒的だったし、映像の力もテーマ性も強く、既に自分の中では今年のベスト候補。説明的な映画は嫌いだけど、もう少しわかりやすくしても良かったかもと感じるくらいには難しい。
でも難解な作品に対して、難しいから放っておこうとする人よりも、理解する努力をするしようとする人が得をする世界であってほしいので、反対意見でも新たな情報源でも何か面白いことがあれば教えてください。



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(1回目)
もしかしてめっちゃ凄い映画?というふわふわした良さが、時間をかけて咀嚼したことで畏敬の念に変わってきた。数十年後にカルト映画になるのが目に見える。

オリジナル版の結論である魔女の存在をもう初めに提示してしまっているのに、そこから深く掘り下げていたしスピード感もあった(足音数える件とか削っていた)し、むしろ倒叙サスペンス的に怖さが段違いに上がっていた印象。映画慣れしてきて心を強く動かされる頻度はかなり減ってきたので、複雑で抽象的な映画の方が刺激的に感じる。もう一度観ようと思うような映画に久々に出会った。

それにしても難解で、サラが負傷する公演まではすごく引き込まれていたけどそこからついていけない部分もあったので長さも感じた。情報量が膨大で言語の壁もあったので、再チャレンジして自分の中で解釈が固まったら4.5超えそうな勢いがある。これ初見で楽しめるくらいのリテラシーがある人が羨ましいし、解説を聞いて歴史や宗教の知識が欠如していたから理解が及ばなかったのだと知ったけど、それだけのインテリって観客の数%しかいないのでは..。
政治と絡めるな、サタニズムふざけんな、みたいな人が何もわかっていないのは明らかで、わからないものがあるときにどうして作品に責任を押し付けて自分は学ぼうとしないのかが疑問。

公演までの自分の推測としては、ブランの操作(怒り)によって受動的にオルガを攻撃していたスージーが、だんだん魔女としての能力を覚醒させ、自らの怒りによって能動的にサラを攻撃するようにまでなった、だと思っていた。
でもその先で、スージー自身がブランやマルコスをも超える母の自覚を持ったようで、しかも制裁を受けるのがマルコスに投票した女ばかりで、ブランの意志を継いでるような印象を受けた。ブランはマルコスと対立していた情報もあったし、実際は善だったのか?と思い始めた。
そして、生贄になったサラ、パトリシア、オルガに死を与えたこと、精神科医に妻の死を教えて魔術について忘れさせたこと、は共にスージーの「救い」だと思ったけど、そう考えるとスージーも結局ブランを継いだ善だった(=さっきの解釈はミスリードに引っかかっていた)ということになって、繋がるような気もする。でもだとしたら攻撃の意図がわからないな?ブランは悪?とか思ったんだけど、知りながら革命のためにあえて乗っかっていたと考えるのが妥当かな。しかも継いだと言うより追い抜いた感じ。

エンドロール後の意味もいまいちわからないけど、アカデミーの印があったとか最後は現代という説もあるようで、続編もあるようなので謎は深まるけど、「ベルリンの壁の崩壊の魔法」という説が今のところしっくり来ている。観客の記憶を消していると言う説も好き。
オリジナル版のスージーもアンケとしてでてきて、結局はすでに死んでいる幻だったけど、前作も1977年だとすると40年代って言ってるのと時系列が合わない!って混乱したけど、前作の時代設定はそもそも1977年ではないのか、女優が同じだけで別の世界線の別人なのか。

解説を読んで知った二つのテーマは、母性と罪の意識。
虐待を受けていた母が死んでいく過程で、娘は悪夢から光を見出し、自分を利用しようとした魔女を吸収して、嘆きの母となる。「母は全てに代わるが、何も母とは代われない」。
もう一つは、罪の意識。クレンペラーのモデルは実際にいたユダヤ人で、ナチスの弾圧の目撃者。「私たちが必要とする恥と罪はあなたのものではない」。

外の世界(当時の世界情勢)と中の世界(魔女が作る学校)のシステムの共通性は自分でも感じられて、内部対立や儀式など、リンクは強く感じられた。「魔女狩りがユダヤ人の虐殺につながった」という理論を発表している歴史学者もいるくらいらしい。その説でいうと、もはや描写されている魔女自体が全員幻想?で、生徒やクレンペラーは記憶をなくしたのではなく、もともとそんな事実はなかったという説もありえる。『コクソン』のような展開。
魔女とかナチスに関する知識も必要になる点でハードルは非常に高く、一度で理解するのは至難の技だったのでもう一度臨みたい。もう少しだけ説明を入れても良かったのかもなー、予習をしたことで逆にアンケの存在がノイズになったような印象もある。


・前作の予習はあまり効いてこなかったけど、むしろ対極でつながっている続編のような印象。
・超自然的な現象もあるし、論理的に説明できないこともあるというのが一つのメッセージだなと思ったけど、現実とリンクしてる部分もあって、「断れば死ぬ」みたいな上からの圧力とか、自己保身のみに走る幹部とかはあらゆる集団で普遍的な問題だと思った。『ウィッチ』を思い出す
・音楽良かったけど、ティルダ・スウィントンとトムヨーク顔似てない?1人3役気づかなかった...すごい。
・エンドロールかっこいい、黒バックで白文字流す飽きたからもう禁止にして、皆工夫してこうよ
・「鏡では映らない自己」「ジャンプの下の空間を生む」とか抽象的な芸術表現がすごく好きだった。展開とも繋がる
・映像作品としても最高部類。極彩色からダークな色彩に変わっていたけど力強さがあった
・Thanksの中にポールトーマスアンダーソンの名前あったけど協力してるの?

町山さんの解説
・重力を感じさせるドスンという踊りをウィッチバレエといい、醜いと言われナチスから嫌われた
・クレンペラーの妻はドイツ人でアーリア人証明があったのに、ユダヤ人の夫を選んで殺された
・戦後でも戦前のナチスの文化が残っている。魔術もナチも、同じカルトで信じてしまっている
・オチはマルコスが偽物の生母だった(から間違ったリーダーを選んだ人が殺された)=ナチと同じ
・スージーが胸を開くと女性器がため息(サスペリア)をついて、聖母マリアのハートの象徴
・メノナイト(アーミッシュの元)はカトリックに迫害されてドイツからアメリカに逃げた。=スージーはドイツを出てドイツに戻った(偽のリーダーがいるベルリンに呼ばれた)。光が生母の魂
・主役はクレンペラー。ドイツの悲劇の罪を背負ってしまった人。それを癒す生母がスージー。
・記憶ごと消されてしまう悲しさが、思い出さえも怒りに変えてしまったナチの罪として描かれる。だから東ドイツ側にある二人の愛の記憶は泣ける(AとJ)
・ブランはあんだけ血が出ても生きてる。彼女はバレエ団を改革しようとしていたし、スージーの夢に入り込もうとしていたけど拒絶された
・スージーの夢の中のクローゼットはオナニー、Aの血は火文字で、メノナイトは厳しいけど社会活動が盛ん
・一方のアーミッシュは自分だけ良ければいいという精神で、マルコスはこっち側。サバトの魔法陣など能力を持っているのに、社会とは関わらず閉じこもる
・ラストのトムヨークの歌詞は「壁の中で眠っていればあなたは安全(All is well as long as we keep spinning here and now dancing behind a wall.)」という皮肉。魔女がちゃんと外に出れば世界は変わった(『ベルリン天使の詩』)
・スージー(キリスト=油を注がれし者)は彼女たちに制裁を与える。エンドロール後はエンドロール後はバレエ学校の前でベルリンの壁に触っている=壁の崩壊へと繋がる魔法
・タランティーノは歴史の被害者がありえない復讐をすると言う作風なので、この作品のファンなのは納得
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