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サスペリアのokomeのレビュー・感想・評価

サスペリア(2018年製作の映画)
4.0
「これはアートではない!」


いや、アートでしょうよ。
何か主張したい事があって、でもそれをそのまま叫ぶだけじゃ誰にも相手にされないから媒体を変えて、わざと難解に仕立てて自分の性癖までぶち込んで晒したものがアートじゃなくてなんなのか。
観ようと思った切っ掛けはヒグチユウコさんデザインのポスターが凄く好みだったからですが、その内容もポスターに負けないくらい尖った作品でした。


リメイク元の作品、1977年の『サスペリア』についてはよく知りません。それでも、今作が全くの別物になっているのは判る。
本来「エログロが見たい!」というニーズに応える為だけの見世物映画が、やたらと社会派な視点のもとに再構築されているのです。例えるなら、『ピラニア3D』の解説を池上彰がしているような感覚。

果たしてそれが良かったかどうかと言えば……個人的にはギリギリ「好き」でした。
単純に画面に映るもの、舞踏団の女性たちの身体的な美しさとか、断片的に挿入されるグロテスクなんだけど美意識溢れる映像とか、そしてトム・ヨーク監修のキリキリ耳に差し込まれていくようなBGMも、とにかく映画として体感出来るものが心地よかったという事が大きい。
エログロとはちょっと趣旨が違いますが、何か感覚的に「美しいものが見たい」という欲求は十分に満たしてくれるように思います。
ここは作り手のセンスが見事に光る。

ただ、その画面に映るもの殆どに意味を持たせていて、明らかに何か主張したいメッセージがあるはずなのに、それをこちらに理解させようとする意図が全く感じられなかったのが辛かった。
もちろん、一から十まで説明してしまうのが良いとは思いません(何とは言いませんが、最近そんな作品を観たばかりですし)。でも、歴史の知識も多少必要になるうえ、上映時間も3時間近くあるので、全く歩み寄りが無いというのも寂しいし、最終的に疲れてきてどうしても辟易してしまう。
見せつけるだけ見せつけて、悦に入られてしまっている感じ。良い部分も悪い部分も、結局やっぱりアートっぽい。


疲れ果てながらも何とか自分なりに感じ取ったテーマは「弾圧の愚かしさ」でした。
作中何度も提示されるベルリンの壁、ドイツ赤軍のハイジャック事件、そしてナチスのホロコースト。これらは全て自分と異なる相手、考えを排除しようとする心の動きが生み出した事柄です。
それに重ね合わせるように、物語上重要な要素である「魔女」の存在が描かれる。
彼女たちは迫害から逃れて、今は舞踏団という仮の姿を得て身を隠しています。迫害していたのはナチスであり、更には「自分たちの神様以外は一切認めない」キリスト教です。
そもそも魔女という存在は、キリスト教という父性の象徴に蹂躙された土着宗教、主に豊穣を司る母神信仰が「悪」というレッテルを貼られた結果生まれたものなのだとか。
だから、厳格なキリスト教の家庭で居場所を見つけられなかった主人公が、魔女たちを牽引するマダム・ブランという人物に惹かれて舞踏団の門を叩いたのも、当然の成り行きなのでしょう。

そして、そんな彼女たちの内部にすら、逆らう相手を排除しようとする思想が蔓延っている。
主人公が最終的にそれらを断罪し得たのは、物語を通してある一人の人物の愛情、それも一種の母性愛を想起させる事が出来たからなのだと思います。
本来、誰の心にもあるはずの他者を受け入れようという気持ち。それを無視して行われた民族浄化、思想統一という愚行を、この作品は強く批判しているのでしょう。
ラストシーンで映る柱に彫られたハートマーク、その真ん中が分断されているように見えるのも、勘違いでは無いはず。
現在、ベルリンの壁は崩壊したけれども、ヨーロッパでは移民排斥問題が起き、アメリカにはメキシコとの国境に壁が立つ。
「トランプ政権の今だからこそ作りたかった」という監督の意図はここにあると自分は感じました。


…ただ確かに、こうやって受け入れてもらえる確証もなく自分の考えを述べるのって、結構恥ずかしい。
個人的な備忘録ですらそうなのに、観られる人数が比じゃない映画という媒体を介するのなら尚更でしょう。そりゃ難解にもしちゃうよなぁ……。
それを踏まえて考えれば、色々と物議を醸しているエンドロール後のあの映像も、個人的には「製作者側の照れ隠し」だという解釈が一番しっくりくるように思います。
かざされた手は画面のこちら側、観客に向けられたもので、きっとこう言ってる。

「ごめん、変なもの見せちゃったね!忘れて!」

でも、残念ながら忘れられない。
観た映画は数日咀嚼してレビュー書く事にしてますが、書いたこの後も色々解説とか漁ると思います。この余韻はしばらく続く。
うん、やっぱり自分はこの作品、好きです。
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