黒川

ハウス・ジャック・ビルトの黒川のネタバレレビュー・内容・結末

ハウス・ジャック・ビルト(2018年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

初めてトリアー作品観たけど好き。他のも観よう。

いつももっとおバカで変な映画しか観ないからマット・ディロンを初めて見たんですけど、めっちゃジム・キャリーとブルース・キャンベルそっくりですね。なんか途中死霊のはらわた観てる気分になったよ。

ハンサムな技師のジャックが、彼の持ち合わせる強迫観念と建築家的な完璧主義に狂わされ破滅へ進むサイコホラー。

ヴァージと名乗る老人とジャックの会話から物語は始まる。どこかの浅瀬を歩きながら、ジャックは彼の殺人について語り始める。芸術がそこにはあるのだという。

真っ赤なバンに乗ったジャックは人通りのない山道で故障車を見つける。運転していた女はジャッキ(英語の発音的には「ジャック」だ)が壊れたと言い、彼に助けを求める。彼女の横柄な態度に苛立ちをつのらせたジャックは、遂に壊れたジャッキで女を殴り殺すのだった。引き金は単純で簡単なものだった。彼はその後も殺人を続けていく。

ネタバレというか考察。
時折芸術についてジャックとヴァージは語る。芸術は英語でArtで、それは同時に人工物を意味する。Artの対義語はNature、自然だ。人の手による美がすなわち芸術なのだと僕は思う。ジャックは芸術を語る。建築家という夢に固執し、彼は何度も家を作ろうとする。技師が演奏者なら建築家は作曲家だ。作曲家や芸術家を気取り、Mr.ソフィスティケイテッド(洗練)は作品を作る。グレン・ゴールドという芸術そのもののピアニストの演奏とヴィヴァルディ四季より秋が本作の各々の回想と章を隔てる。
所々で挿入されるウィリアム・ブレイクの絵画はダンテの新曲を描いたものだ。裸にも見える人々は地獄には似つかわしくない淡い水彩で着色され、牧歌的な地獄を歩きゆく。また、ブレイクの詩そのものは引用されないが、彼が書いた羊とトラの詩についての言及がある。羊は犠牲であり生贄であり知性で、虎は獰猛性と死なのだとジャックは言う。人間は羊であり賢いが、同時に虎に狙われる存在なのだという。
腐敗というプロセスを経たブドウから作られた貴腐ワインが甘いように、腐敗というプロセスを経ることで甘美さを増すという持論をジャックは持っていた。肉を食べるにしても、熟成期間が必要となる。牛なら4週間、豚なら2週間程の熟成期間、死後硬直が解け自己融解とか自己消化と呼ばれる腐敗的なプロセスを経て、美味しい肉になる。ジャックの言うその甘美さを増すための腐敗は死そのものだろう。人の手で殺され不必要に腐ることとなる死体は彼の作品となる。貴腐ワインになるべく枝に残されたブドウのように、死体は彼の作品になるべく冷凍庫に保管される。

この物語は実話を元にしたと聞いていたが、どこを探してもそのような殺人鬼はいない。どうやら幾人かの悪党の所業をまとめたものらしい。ジャックといえば切り裂きジャックだろう。松葉杖をつき歩行困難を装うのはテッド・バンディの手口だ。乳房で作った小銭入れはエド・ゲインだろうか。ナチの実験を再現しようとしたのが彼の最後の殺人になる。そういえばヒトラーも芸術家を目指したが挫折し、バウハウスを目の敵に迫害追放した後、自分が焼き落とした国会議事堂を自ら新たに設計した。切り貼りされた人工物的な殺人鬼ジャックは作品を体現するまさし芸術作品なのだろう。
また死体を使った芸術家にダミアン・ハーストとジョエル・ピーター・ウィトキンがいる。前者は現代アーティスト、後者は写真家なので、ジャックはより後者に近いと思われる。そして殺して作られる作品は真の意味で芸術というものに近いのかもしれない。
ジャックは狩猟の趣味があるようで、戦利品をトロフィーと呼ぶ。剥製の歴史は16世紀まで遡ることができるらしい。いつしか獲物を仕留めたときに、ハンターはそのその体(の一部)を残すようになった。19世紀までは残酷な民芸品的なものさえあった。冷凍保存された死体はまさにトロフィーだった。完全犯罪では無く残すことで完結する狩人と獲物の関係性。肉食動物は時に食べるためではなくいたぶり遊ぶために殺すことがあるというが、ジャックの殺人はまさに遊びなのだった。

本作のタイトルThe House that Jack Builtとは、マザーグースの歌の一つだ。これはジャックが建てた家。これはジャックが立てた家にある麦芽。これはジャックが建てた家にある麦芽を食べたネズミ。これはジャックが建てた家にある麦芽を食べたネズミを殺した猫…と、どんどん節が増えていく歌だ。ちなみに、ジャックの家がどんなものなのかは全くわからない。作中でじゃっくの建てようとした家とは入れ物にすぎず、物語はジャックが殺人を犯すごとに雪だるま式に増えていく被害者と彼の自尊心であったり慢心なのかもしれない。

普通にネタバレ。
ヴァージとはヴェルギリウス/ヴァージルであり、赤い車を運転し、SPの赤いローブを身にまとったジャックはダンテなのだった。物語は最後の数十分でダンテの地獄編へと姿をガラリと変える。最終章のカタバシスが意味するのは下降だ。突然ジャックの建てた「家」の床に現れた穴に彼は入り、鍾乳洞のような流れの急な地下の洞窟を通り、アケローン川のような水を渡り、地獄めぐりをする。地獄はフリッツ・ラング「ニーベルンゲンの指環」で見たような古典的な表現をされる。今まで現代的なセットであったりロケだった画面が前世紀、しかも映画黎明期的になるところがどこか心地よい。
物語は終始どこか喜劇的だった。パゾリーニのデカメロンのラストシーンが思い起こされる。ラファエロに扮したパゾリーニと悪魔の糞として尻から排泄される亡者はまさに喜劇であり、またデカメロンの題材は性愛である。観る前までなんとなく本作はエロティックな作品なのかと思っていたが、普通にグロテスクで、その振り切ったグロテスクさが悪魔のいけにえのような喜劇性をはらんでいるように感じられた。
僧衣と世俗である赤と黒。ヴェルギリウスは通常白い衣と月桂冠を被った姿で表されるが、ヴァージ衣装は19世紀貴族的タキシードだった。なんかそのへん掘り下げたい。
それと、エンドロールで流れるレイ・チャールズの"Hit the Road Jack"はどこかファントムオブパラダイスのエンドロール曲"Hell of It"を彷彿させてくる。多分元ネタの一つなのだろう。ゲーテが黙想した木が戦時下にユダヤ人収容所の真ん中に鎮座したエピソードが語られたくらいなので、多分ファウストもこの物語に絡んできている。ファウスト読んでないから知らんけど。

なんかもう一回ちゃんと観たい。考えがいつも通りまとまらないしクソ長い。でもキリスト教的になにかあるからこそアメリカでは5分カットされたんだと思う。どこカットしたんや。ちなみにヴァージことヴェルギリウスとかキリスト教成立以前に亡くなった人は地獄の門くぐっためっちゃ最初のところで亡霊にもなれず彷徨ってるそうです。キリスト教ってこういうとこ高慢だよね。

ヴァージを演じていたのはブルーノ・ガンツだった。ベルリン天使の詩で彼は天使を演じていたが、ヴェルギリウスはまさしく彼のための役であったと思う。昔総統閣下も演じていたが、悪魔のような男ではなく一介の神経質な「人間」として演じていた。天使でありながら人間になりたい男を演じ、死後冥府の案内役をした男を演じ、悪魔のような男を人間として演じた。いい俳優さんでした。安らかに。
黒川

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