ねつき

南瓜とマヨネーズのねつきのレビュー・感想・評価

南瓜とマヨネーズ(2017年製作の映画)
3.4
「私は何を」

どうでもよくなってんだね、いろんなことが。
まじで大人になると自分が傷つこうが誰にも迷惑かけないし、そもそも自分に興味のある人なんて周りにいないのだから、性病と妊娠にだけ気をつけてれば何してもいいと思うんだ。自由だと思うんだ。だからヤりまくって方がいいって話ではなくて、別に何も考えずにオダギリジョーに惹かれたっていいっていう話。

ただそんなことやってられんのも本当若いうちだけというか女としての需要があるうちだけであり、美のタイムリミットが決まっている悲しき人間だから色々焦ったりするわけだけど、本当それすら気にしなかったらなんでもできると思うんだ。
一緒に暮らしてるせいちゃんくそだせ〜けど、出会った頃とかAV女優と話してるときとか最後のせいちゃんはなかなかいいもんね。なんかね。一緒にいない方がいいってそういうことなんだと思うよ。

恋人同士だってもちろん親しき仲にも礼儀ありだし、なんならトキメキ失ったらも〜ど〜にもならないと思ってるよ。トキメキ失っても上手い関係続けてる人ってどうしてんのかな?トキメキって、いつまでたっても相手にドキドキするとかそ〜いうことじゃなくて、「あ〜センスいいな〜好きだな〜」とか「あ〜〜ここでアイス買ってきてくれたの優し〜〜」とか「あ〜〜〜今の表情なんかいい〜〜」とか思えるってことかな?とか思うけどどうなんだろ?下心とかカッコつけたい心とかそういうの全部とっぱらったありのままのお互いで、どのくらいときめくか大事じゃない?

主人公がオダギリジョーに「私のことずっと好きでいてくれる?」とか聞いてたけどそれはちがうんじゃね?と思った。「一緒にいて楽しいうちは好き」って言ってたオダギリジョーにはめちゃくちゃ共感で、好きでいられる努力というか、一緒の時間を楽しむ努力をしないで「なんで好きじゃなくなっちゃうの😠」ってなるのは違うと思う。いや主人公は努力をするつもりだったのかな?わからないけど。とりあえず、相手に丸投げするのはちがうだろぉと思ったぜ。男と女とか言う前に人間なんだぜ。楽しくなきゃ、そりゃやってらんないぜ。

私は何を……の連続だよな。何がしたくて何をしてるんだろな。恋愛だけじゃないって。
ねつき

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