ねつき

ドライブ・マイ・カーのねつきのネタバレレビュー・内容・結末

ドライブ・マイ・カー(2021年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

「僕は正しく傷つくべきだった」

21時に鑑賞し始めた時には、このテンポ感と空気感と眠気の相性が悪すぎて、最後まで観進めることがとてもできなかったのだけど、大事な人が大事なタイミングで勧めてくれた映画だったので諦め切ることができず、翌朝起きてスッキリした頭で鑑賞した。

結果、とてもいい映画だった。ただ、楽しい映画かというと全くそんなことはないので、もう観たくないというのはあるけど。特に戯曲の中のセリフと物語がリンクしているのはちゃんと冒頭から気づいていて、ただ話が冗長すぎてそっち軸の解釈を途中で諦めたので、演劇の最中の俳優たちの演技はミュージックビデオを見るみたいに「この人声いいなー」とか「この人伊藤沙莉に似てるなー」とかパッパラパーな受け取り方をしながら見ていた。そしたらまんまとラストシーンで、家福とみさきと私たち(生きることに苦しんでいる人限定)に向けたメッセージがソーニャちゃんから放たれていたので、そこら辺は全然理解できず(というか理解する気になれず)、しくったなーと思った。テキトーな向き合い方してる。
旦那に「この人の言葉を私がたくさん聞こうと思いました」と言われるくらい人生充実しているソーニャちゃんがいうから、より意味があるのかな、というのは思った。

とはいえちゃんと得るものもあって。西島や岡田将生が言っていた「結局は自分と向き合うことしかできない」的なニュアンスのセリフ、いやー、そうなのかと。自分の中の「黒い渦みたいなところ」って作中では言っていたけど、そこまでどす黒いものは私の中にはない気がするな。親殺してないし。
でも見て見ぬ振りして、大丈夫と思って生きていることはたっっくさんあるな。

自分の中の認識を薄く薄くして、もしくは別の側面を見て悪い方はなかったことにして。私が傷つかないように、物事の捉え方をコントロールしているね。というか、コントロールできてしまっているね。学生の頃より人として生きるのになれてきて、自分のこと理解した気になって自分が転びそうなところは通らないように、傷つきそうになっても、捉え方を変えて前を見て。
これってでも、本当に幸せに向かっていることになるのかな?





旦那と結婚して3年、仲良くやってきていた、先週までは。旦那の好きなところ見失わないように何度も自分のなかで確認し、この人のバリューはここだから、とそれ以外のところは気にしないようにしていた。「嫌なところがあっても、それを許せるくらい好きなところがあればいいじゃないか、結婚なんて」みたいな。
でも、なんかほんとちょっっとしたきっかけで立ち止まって現在地確認して、旦那ありきでない私自身の価値とか本質的な喜びとか考え直した時に、突然、あれ?って。あれ、なんでこの人しかいないみたいに思ってたんだろ、って。突然だよほんと突然。

私ってこういうことに喜びを感じるよな、私の人生で大切にしたいことってこういうことなんだよな、ってことはしっかりと理解できるようになっていて大人みを感じていたけれど、待て待てそれを蔑ろにしている人と一緒にいる意味ってあるんだっけ?って。
価値観が全然違くて、そこがいい、と自分自身にも家族にも友人にも何度も話してきたし、その言葉はその時は嘘じゃなかったんだけど、これ、全部「ちゃんと向き合うべきだった」のに大人ぶって大丈夫そうにしてちゃんと向き合わなくて心に折り合いを100万回つけてきた結果だったんだよね。だってそんなはずないんだもの。

映画一緒に見てたくさん話したいし、相手の好きなこと私の好きなこと全部知りたいし知ってほしいし、一緒に楽しいことたくさんしたいし、世の中こんなにキラキラしたもので溢れているんだから、それを探して自分たちだけの大事なものを1つずつ増やしたいし。山に一緒に行きたい、私の人生最高だって思える瞬間を、たくさん共有したい。人生を深めていきたいじゃない、旦那さんと、生涯のパートナーと。顔がタイプとか話にオチがあって面白いとか、そういうことじゃなくて。この数年、旦那と一緒にいる間の旦那と過ごさない時間の中で、私にとって大事なものがどんどん浮き彫りになって。そのすべてが共有できない人と、夜のバラエティ番組一緒に見るのが楽しいってだけの理由で一生一緒にいて、ほんとに後悔しないかな?だんだん友人に旦那を紹介するのが億劫になるのとか、旦那との予定が億劫になるのとか、でも彼の価値はそこじゃないので(得意分野でないので)まぁOKと思ってきていたけど、そんなのやっぱり、どう考えても嫌だ。

いつだって衝動的に動いていて、今回だって先週までは「旦那とはなかよしだよ」と家族や友人に説明してなんなら旦那家族とご機嫌にご飯に行くみたいなことまでしていたのに、急にどうしたって思われるだろうなと思うのだけど、実は全然急にじゃなくて、結婚当初、なんなら付き合った当初からずっと感じていたことと地続きになっていたんだよ。でも好きでいたいから、相手の気持ちに応えたいから、自分の理想を殺して“そういうこと”にしていたんだと思うよ。

結婚したことを後悔しているとか、気づくのが遅いだろとか、そういうことは実はあんまり思っていない。
付き合う時は旦那がよく見えたし(実際付き合いたての時は私の理想を演じてくれていたし)、結婚するのだってあの時の私が決めたことだからそれはその時の選択として間違ってなかったんじゃないかと思うよ。

色々話して、別れたいって伝えた日に、旦那は誠意を持って今までの自分の行動を振り返って謝ってくれたし、こういうふうに改善する、っていう言葉もくれたんだよね。彼なりに私のことがとても大切で、一生一緒にいたいと思ってくれていたんだよね。でも私が全く、じゃあ離婚やめると言わないので最終的に
「離婚するほどのことか?浮気したり暴力ふるったりしているわけでもないのに」と言われた。うん、それもわかるよ

でも、離婚するほどのことだよ。ちゃんと自分自身を見つめ直して、大切にしたい価値観とか人間関係とか考え直して、その上で、旦那さんが私の人生の幸福に関わってくれないってわかってしまって、というかこれまで共に過ごした月日の中でそれが証明されてしまって、だからもう今これっぽっち一緒にいたくないって思っていて、それって私にとって、すごく、離婚するほどのことだよ。



妻の不貞行為に向き合ってこなかった西島秀俊、自分の心の死に向き合ってこなかった私ってことで、まあそういう意味で自分を重ねて映画を見ることができるかなっていう無理矢理なこじつけな感じはするけど、
現在地点の記録ってことで映画レビューを捉えているし、今私にとって最大のトピックはどう考えてもこれなので、まぁ今日もこうして記録をつけたわけだ。
私の中で、良い意味で気持ちの盛り上がりも盛り下りもなく今回の離婚の話に辿り着いているので、きっと正しい判断であると後からも思えるはず。てゆうか私自分の判断に後悔したことそんなになかったや。なんてったって、良面だけ見るのが特技ですから(だからこうなってるんだけど)


離婚を考えるにあたって、自分とすごく向き合ったんだから。今までの人生で陽が当たっていない場面(はつらつと生きられていないとも言える場面)ってなんだろうって考えたの。私にとってはそれは大学時代とか教員を続けなきゃと思っていた頃とかがそこに当てはまるのだけど。で、この時の共通点って、「自分で判断するのが怖かった」「流れに身を任せれば安心と思っていた」「1人になるのが怖かった」ってことなんだよね。で、このまま結婚を続けていくことはまさにこの3つに当てはまるんだよね。ってことに気づいてしまったというか、気づくことができたので、もう、やめます。


これで別れて、次の幸せがやってくるのかとか、マジでわからないから不安っていう考え方もあるけど、私は「今」の自分の心に従ってした判断が間違えるなんて全く思えないので、大丈夫なんだ。
次、素敵な彼氏できるかなとか素敵な結婚できるかなとか、そういうことに期待して別れるのではなく、自分を大切にするために別れるんだ、ってこと。






っていうのを、うまくみんなに説明できるかが、今1番の悩み。まあ人の意見なんてどうでもいいんだけどね。
ねつき

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