高橋

ファースト・マンの高橋のレビュー・感想・評価

ファースト・マン(2018年製作の映画)
4.0
 映画はその横長の矩形性から、画面の横方向にたいする運動を捉えることには向いているが、一方で垂直方向の運動にたいしては十分にちからを発揮することができない。カメラは垂直運動する物体を、下から見上げて、あるいは上から見下ろして、または物体そのものの視点となって下を見下ろしたり、ロングで横から見たりするだろうが、どの方法で撮ったとしても、垂直運動は奥行きへの運動に姿を変えてしまうか、迫力を失ってしまう。これは、高いという感覚というか、高さによるエネルギーを、カメラが映すことができないことも関係するだろう。
 では、そのような物理的限界に際して、映画『ファースト・マン』、つまりはロケットの打ち上げという垂直運動を取り扱う必要のある映画は、どう対処するのかというと、序盤から中盤にかけては、試験用ロケットが打ち上がる様子をロケットの外側から撮らないのである。事実、ロケットが上昇するとき、カメラはほとんど徹底してロケットの内部におり、ライアン・ゴズリングの表情か、かれの主観的視点に立って窓から見える風景を映しだしている。これによって、上昇という運動は、途端に地面から離れたことによる寄って立つ基盤の消失とその不安へと変わるのである。
 そのようにして中盤までは、映画の矩形と相対する形状である円形の月へ行くためのトライアンドエラーがなされるのであるが、円形を目指す飛行士候補者数名は、月へ到達することはかなわず、葬儀の写真の矩形やテレビ画面の矩形のなかに閉じ込められてしまう。この矩形の呪縛は、おそらくニールの娘の葬儀で、小さな棺が墓穴に降ろされる運動からすでにはじまっている。
 そして、ついに終盤、アポロ11号は打ち上げられることになるのであるが、このときカメラはロングで打ち上げの瞬間を捉え、その後は上から見下ろすように撮ったりしている。しかし、ここでは垂直な運動の迫力よりは、地面から離れた距離、奥行きに感じる距離が重要となっている。なぜなら、この終盤に至るまでで、試練や家族との関係が十分に主題化されており、ここにきての距離を感じさせるショットよって、それまでの時間や距離が意識されるからである。そして、アポロ11号が円形の月にたどり着くと、ひとはニールが矩形の呪いをとく瞬間を見ることになるのである。

 クローズアップは多いが、大事なところで引きの画を撮れる(たとえば食卓のシーン)デミアン・チャゼルは、マイケル・マンやトニー・スコットなどの監督たちのなかに並べられる、すばらしい監督であるとおもう。
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