映画を見て、政治や倫理について語るのであれば、我々は映画の政治性や倫理について語るべきであろう。単なる政治や倫理のための映画ではなく、映画のための映画に触れることで、我々はその豊かさを感じられるのである。
映画の政治性とは、言語などに国籍がある一方で、映画の画面そのものには国境はなく、無国籍であるという事実である。そして、その無国籍性ゆえに誰もが豊かさを感知し得る映画のためには、作り手の映画的な倫理が問われるのである。映画的な倫理とは、つまり「映画として」画面を見せるかどうかということである。残念ながら、この映画は人間のための政治や倫理について語りながら、映画としての政治や倫理について考えているとは思えない。
ただし、海に浮かぶクルーザーをロングで捉えたショットは、そこになにか良からぬ気配を感じられたし、エスカレータで女性が降りていくシーンはちょっとホラーでいい。