高橋

ワイルドツアーの高橋のレビュー・感想・評価

ワイルドツアー(2018年製作の映画)
4.0
『きみの鳥はうたえる』などもそうであったが、三宅監督はやたらと切り返しショットを多用するということがなく、たとえばこの『Wild Tour』でも、序盤のタケがフレームアウトしたウメをチラチラと「目で追う」ショットがあったり、PCモニターに流れるウメの映像を「見る」シュンを正面から撮ったショットがあったりして、これは監督も舞台挨拶でいっていたように画面の外の世界の広がりに意識的な表現なのである。おそらくそのようなことに意識的ではない者が撮れば、このある人物がなにかを見ているショットの次に、その人物の主観ショットを繋げ、あたかもそれが映画的文法の正しい身振りであるかのように涼しい顔で画面に定着させるのであろうが、そこにはやはりひとつのショットがもち得る表現の豊かさはないわけで、一方の三宅監督のショットには「見ること」「視線」「距離」によるドラマがある。
しかし、この映画には実に優等生的な切り返しショットが一ヵ所だけ含まれているので、ハッとする。それはウメがザキヤマに告白するシーンであり、ここでカメラはかれら二人を丁寧に正面から捉えながら切り返す(しかも場所はシアタールーム!)。実はこのシーンに至るまで、映画は素人ばかりの出演者ということも手伝いつつドキュメンタリー風に進行するのだが、この切り返しショットを使った告白シーンによって、映画はフィクションの様相を呈しはじめるので、カメラが現実を切り取りショットがその現実を画面に組織するという事実から、映画はノンフィクションでありながらフィクションであるのだということを改めておもいだすわけだ。
空間のドラマもある。卒業を控えた中学三年生のシュンは「関係者以外立ち入り禁止」表示のあるパーティションポールを脇にどけて、アートセンターの一画にいる大学生ウメに会うのだし、ウメはアートセンターの「屋上」という通常は立ち入らない空間でシュンを誘う。またDNA採集に出かけた山奥で廃墟を見つければ、市の文化財であるからと、どこからともなく現れた職員らしき男に追い返される。こうした空間によって、大人になりつつあるのに多くのことで制限されるシュンやタケのもどかしさであったり、一方楽しさだったりを感じられる。
高橋

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