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ブルックリンの片隅でのzogliのレビュー・感想・評価

ブルックリンの片隅で(2017年製作の映画)
2.4
Netflixで配信終わってしまうらしいのでもう一度観た
ハリスディキンソンの惑いの芝居が凄くいい 社会と家庭、嘘と真実、刹那的な悪事と正義感…いろんなものの狭間で揺れてる不安定な感じ素晴らしい
でもテンポも良くないし観ていてしんどいんだよね

メトロカードは最近のタイプだけどお母さんと女の子しかケータイ使ってないし、主人公くんの部屋のPCあんな感じだし、描かれている舞台が何年ごろなのかどうにもわからなかったのが初回鑑賞時の躓きポイントだったが、今回ハッとしたのは『弟の部屋なのか?』って聞かれるあれ
そっか数年前にはお父さん具合悪くなって、医療費かさむ/収入減とかであの一家が経済的に苦しくなり子供に新しく買い与えられるものもなくて「その頃」から年齢に応じた物資的な意味でのアップデートが無くなったって事かぁ、と
だから部屋にあるものだけじゃなくてPCとかOSとか古くさいままなのも、お父さんの致死的で重篤な病気や家庭の事情のために色々我慢したりしてきて年齢相応の精神の成熟が未だ得られてなくて今頃になって性自認に揺らいでるっぽいのも(最近はティーンあたりで既にクィア自覚してる子の作品ばかり観てたので余計にこちらが勝手にそう思ってしまうのかも)、「知り合いが被らないから」とかいいつつも歳上のひとに惹かれちゃうのはお父さんに甘えられなかった分なのかもとか…再鑑賞でちょっといろいろ自分の中での疑問が解けた気はする

ビーチやコニーアイランド、花火といった画面に映えそうな場所・要素があるのに上半身のアップやうなじや背中、手…寄りの画ばかりでカメラワークが独特
遠景で景色撮ったりしないのは主人公の意識が届く範囲というか問題が起きてるのが半径5mだからだし、移ろい彷徨う視点を擬似体験させる意図だろうけども、観ているこちらも苦しくなってくるのでまんまと術中にはまっている感ある

考えたく無いからハッパやクスリで現実逃避するのだろうし、知らない男たちに身体をひらいている自分を隠すために風貌も行動も仲間たちに同化させてクズ野郎になっていくのがな…

カモフラ彼女にキスの話をしたり、マッチョイズムあふれるハッパ仲間の前でwebのゲイコミュにアクセスしたりして危なっかしいなとしか思わなかったけど、『まだ』カムアウトするまでの覚悟も決意もなかったけど迷いと苦しみを吐き出したかったんだろうなわかってくれる人はいないか小出しにして様子を伺ってみたんだろうな
しかも女子にも男子にもあのホモフォビックな反応されたらますます言えなくなるだろうけど、母ちゃんにくらい打ち明けて欲しかったな…作中に希望がなくてそれもしんどい原因だと思う

花火って打ち上がって華々しく煌めいては散っていくので、快楽は一瞬だみたいな享楽的な意味で使われてるのかと思ってたけど、今回は苦痛も勇気を振り絞るのも花火と同じで一瞬だ、言ってしまえば楽になる?でもその後はどうしよう?みたいな葛藤にも思えた、ような気はする

カモフラ彼女とのデートを地元にしたのも『目撃してもらう』ためわざとなんだろうし金がないからなんだろうけど、まぁマンハッタン行きたいよね
てかカムアウトしてマンハッタン行っちゃえばもっともっと生きやすいのではと思うんだけど、多分家庭を蔑ろに出来ない子なんだろうしな…
金もないし職もないから実家住まいするしかないって事だけじゃなくて、『父親不在な分俺が』みたいな余計なもの自ら背負っちゃってる感があるんだろなーあの妹ちゃん周囲の件とか質に入れた母ちゃんのアクセサリーの事とか最後に逢ったあの男の件とか見る限り、根が真面目で正義感を捨てられない子なんだろうな
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