つかれぐま

あゝ、荒野 後篇のつかれぐまのレビュー・感想・評価

あゝ、荒野 後篇(2017年製作の映画)
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これもまた「父親殺し」か。

凄まじい熱量を打ち込まれ🥊疲労困憊。フェミ全盛のこの時代に、こんな男臭い5時間の長尺を作ってくれた勇気に拍手👏

なんといっても菅田将暉。
彼は元々、なにか「人ならざる者」の雰囲気がある俳優と思っていたが、それは神とか天使のような「聖性」のベクトルだった。一転、本作では真逆の「獣性」を見せる素晴らしい演技。現時点で彼のベストバウト!じゃなくて、ベストアクト。

物語は「あしたのジョー」の魂を受け継いだ換骨奪胎だった。そもそも本作の原作者である寺山修司が、「あしたのジョー」の創作にも一枚噛んでいるので、意趣返しとも言えるのかな。いずれにせよ「ジョー」は本作を理解する上で、重要なサブテキストになっていた。多くが語られない女性キャラクターの心情も、最後にようやく新次を応援する京子を「白木葉子」に、見る世界の違いを悟り姿を消す芳子を「林屋の紀ちゃん」に置き換えると呑み込みやすかった。本作の京子と芳子がどことなく似ているように、葉子と紀子もまた、ジョーが見間違える程似ていた。

★★以下ネタバレ★★
問題のラストシーンについて、私なりの解釈を。

あの死亡診断書に記された名前は「二木建夫(建二の父)」。建二が生きていると思いたい願望もあるのだが、二つの根拠でそう考えた。

建夫は(この後篇でそれぞれ一度づつ)新次と建二に会うが、ここで最低のクソっぷりを見せ、新次も建二も激しい怒りを彼にぶつける。あの怒りが「殺意」に変わっても不思議はない。最終ラウンドで、2人が目指したのは、建二の中に未だ残る「建夫」を殺すこと。古今東西でテーマになる、所謂「父親殺し」だ。建夫が辛うじて生きている内に、建夫の前でそれをやり遂げる。それがあのラウンドの意味に思えた。それを理解した京子は、初めて心の底から二人を応援する。かなり歪んだ叫びだったが、それが本作の最後の台詞だったことには、大きな意味があったんじゃないかな。

言い換えれば、仮に建二が絶命していたとしても、建夫という「父親殺し」を成就したこと。それこそが本作のエンディングに相応しいと解釈した次第。

もうひとつの根拠は、ラストショットの新次の表情。既に燃え尽きた新次の瞳孔を、あそこまで大きく開かせるのは、建二の姿以外に考えられない。「覚醒した」建二の姿を見た新次の表情が、僅かな安堵に変わって物語は終わる。表情だけですべてを語る素晴らしい演技だった。