るる

ボヘミアン・ラプソディのるるのネタバレレビュー・内容・結末

ボヘミアン・ラプソディ(2018年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

2019.1.26.追記
支持、という言葉を記載していたのだけれど、
ブライアン・シンガー監督の疑惑記事を目にしたことで、スタンスが変わってしまうな、告発内容が本当なら擁護できないな…

映画の中で男たちの乱交パーティーをネガティブに描いたあたり、
その場の雰囲気に流されて合意のない性交に繋がる可能性もあるしな、性病のリスクもあるしな、きちんと健康検査義務があったり禁止行為のルールが決まってる会員制クラブならともかく…ドラッグを用いた、自傷の延長のようなパーティーならそりゃ現代のメジャー映画としては肯定しにくいよな…
というような見方をしたので、
まあ、ネガティブに描くのも致し方ないのでは、パートナーと信頼関係を築くことを推奨する作品ということで筋は通ってるのでは、という感想だったんだけど、

未成年に対して合意のない性行為を強要した過去があるひとの作だと思うと、擁護しにくいというか、

あれもこれも、同性相手に、対等な恋愛関係を築いて、ちゃんとした手順を踏んで、性行為を持ちかけることができないひとによる描写と思うと、なんだろ、残念、悲しいな…

調べると、本人は2014年の時点でゲイ寄りのバイセクシャルだとカミングアウトしてるのか。
うーん。カミングアウトに至るまでに苦悩や葛藤があったのかな、必要な支援を受けられなかったのかな、御し易い未成年を相手に、支配欲を優先させるような、認知の歪みがあったのかな…などと察するのだけれど、擁護はできない、いかなる事情があれ、未成年に強要してはいけない…

同性愛嫌悪を煽る勢力がゲイの粗探しをする現状も、マイノリティが有名になるとわずかなスキャンダルも許されないような状況も、セクシャルマイノリティへの支援や理解がロクにないくせに法を犯したゲイを殊更に糾弾する社会も、グロテスクだと感じているのだけれど、やっちゃいけないことはやっちゃいけないので…記事が出たのは良いことだと思う

作品の出来は関係なく、ノミネートを取り消して、被害者に寄り添う立場をいちはやく表明したGLAADはちゃんとしてると思う、評価軸が明確だし、本来、社会はそうあるべきだと思う。

アカデミー賞がどう対応するのか、作り手がどうであれ作品が素晴らしければ評価する、という評価軸、芸術を扱ううえで大事だけれども、もうそろそろ限界なんじゃないか…なんにせよ、なんらかのオピニオンは表明してほしいよな。。

がっかりさせないでくれ、品行方正であってくれよ、と作り手に願うことはエゴかもしれないけど、応援=監視という意味で大事なことかもしれんなと思う。しかし、大衆に向けてエンタメつくるなら相応の振る舞いをするひとであってくれ…というプレッシャーが、作り手を追い詰めるケースもあるもんな…難しいな…


以下、編集・削除はしないけど、続報次第で消すかも。



2019.1.23.追記
フレディはゲイカルチャーを孤独の拠り所にしていたのではなく、ゲイカルチャーを心から楽しんでいた、抑圧から解放される環境を持っていたからこそ、才能を発揮することができ、独創的な音楽を生み出せたのだ、と思わせるストーリーも、ありえたと思うんだけど、
それはそれで、作品が失敗すれば、ゲイには特別な才能があるという偏見の助長、ステレオタイプの強化になりそうなので、
個人的には、セクシャリティの揺らぎと妻・友達との関係の揺らぎを主軸に持ってきた今作は、天才の苦悩をありがちな苦悩に収束させてしまったかもしれないけど、宗教的葛藤は控えめにして比較的にポジティブにまとめた点で、広く大衆(シスヘテロ)に届くものとして支持したい。な。
(『RENT』を超えるボヘミアンの肯定を見たかった気もするけど…)
『君の名前で僕を呼んで』や『キャロル』のロマンスに対して、気取ってんじゃねえよ、と苦笑した身としては、ちょっとダサいくらいのほうが大衆には届きやすいんだよな…とも思った。
アカデミー賞作品賞は『ブラックパンサー』か『ブラッククランズマン』にとってほしいけど。
今後クイーンやその他ロックバンドを題材にした映画が作られやすくなったらいいなと思う。


以下、鑑賞直後の感想

思った以上に濃厚なエロスが漂う映画でビックリした、ヘテロ向けの描写じゃないなと思った。この規模の映画でヘテロへの目配せ(ヘテロを不快にさせないように恋愛描写を美しく飾り立てる、"ヘテロの世界"を脅かさないようにセクシャル・マイノリティ個人の苦悩の物語に集約させる、などなど)をそこまで感じなかったのは珍しい。

ヘテロにゲイのことを知ってもらおうという姿勢で作られたのではなく、直球でゲイやマイノリティへのエンパワメントになっていると感じて、けっこう、かなり画期的に感じたので、ゴールデングローブ賞作品賞、良いんじゃないかなと。納得。支持。

マイノリティたちの逆襲という意味で『グレイテストショーマン』を上回るパワーがあったと思うし、いまのハリウッドが求めているテーマをうまく描いていたと思うし、どうやって撮ったのと思わせる見所があるし、大衆性も備えていて、文句ないですわ。その他の傑作にも目を向けるべきなのはモチロン当然として。アカデミー賞とったとしても驚かないよ。いや、やっぱり首をひねるかな。

史実を基にした部分、史実とは明確に異なる部分など、読み取れなかった部分はあるとは思うんだけど、

Keep Yourself Alive !
YOU'LL SURVIVE! 生き延びろ!
で目頭が熱くなったので負けなのです。
ありがとう。お守りが増えた。

ゲイカルチャーに惹かれるフレディを不穏に、ネガティブに描いてる、という評を見かけたので、ホモフォビックな描写を覚悟して観たのだけれど、

うーん…史実と照らし合わせてどうかは別にして、悪い恋人とは手を切りましょうね、自分の身体を大切にね、性別は関係ないよ、という真っ当なメッセージになっていると感じたので、現代の青少年が見る作品として、ポジティブで良かったと思う。いまのところ、差別をなかったことにしない作品のほうが好きなこともあって。ほどよい塩梅だった気がする。

仲間と仲直りできる、という点は希望に感じられたし、悪い恋人友人と縁を切ることで、きちんと互いに尊重し合える恋人を得ることができたし、元妻とは友人関係を築くことができたし…"悪役のゲイ"と縁を切って終わってしまったらいかにもホモフォビックでダメだけど。物語としてバランス良くできてた

脚色された伝記映画として、良かったなと思う。マネージャー兼恋人のポールは本当にそんなに悪い奴だったのか? という疑問は湧いたし、熱狂的ファンにしてみたら許せない部分がたくさんあるのだろうなとは察するけど。

クイーンのメンバーが認めてる映画なら、まあ良いんじゃないかな、とか。事実と異なる点は、いまネットでチョット検索すればわかることだし、間違った情報が広がるのは困ると危惧するほど、致命的なことは起きてないんじゃないかな、とか。どうかな。

ライヴエイドの前にメンバーにエイズであることを告げる描写は、事前に史実とは違うと聞いていたこともあって、いかにも感動を狙っているなと、多少抵抗感は湧いたけど、ちゃんとその後の演出効果に繋がっていたと思うし、良かったよ。変更意図がわかる改変、演出意図通り、機能している改変、実際はこうだよ、という批評家による解説付きなら、私は許せる。

当時のゲイカルチャー、乱交を否定していいのかとか、ポリアモリーに理解がないんじゃないかとか、言い出したらキリはないと思うんだけど。

女王陛下のパーティーのシーンは気持ち良かった。『グレイテストショーマン』でマイノリティを率いた白人ヘテロ男性への、諧謔に見えて、こっちのほうが好きだった。金をばら撒きながら孤独を語るフレディは皮肉だったけど。放り投げられた二つのティファニーの箱が印象的だったな。

ただ、バイセクシャルかもしれないと告白したフレディに、いいえあなたはゲイよ、と告げて突き放すメアリーの描写は、ちょっと悲しかったな。男か女、どちらかに決めろとヘテロからもゲイからも責められ、迫られがちなバイセクシャルの存在を思って、うーん…

妻のことは配偶者として愛しているけれど、同性の愛人が複数いるという状態は、バイセクシャルとは言わないか。ヘテロ優勢の社会で、止むを得ず異性と結婚しただけの、ゲイ、ということになるのかな、やっぱり。

思えば『バトル・オブ・セクシーズ』も似たような状況だったけど、あちらはむしろ不倫にショックを受ける描写で、質が違ったよな…

なんだろうな、メアリーへの愛をあんなに丁寧に描くなら、メアリーへの愛はエロスではなく、フィリア、もしくはストルゲーだと、きちんと示してほしかったかな。セクシャリティとは本来曖昧なものだとして描くことには、もちろん意味があるけれど…

あの時点で妻にバイセクシャルだと受け入れてもらってたら、あそこまでの孤独を感じる必要もなく、ゲイカルチャーにのめり込むこともなかったんじゃないか、と感じさせる描写になってて、うーん。

バイセクシャルかもしれないと妻に打ち明けたフレディ。妻のことは親愛の情だろうがなんだろうが確かに愛してるし、ベッドを共にしたこともあるし、ゲイ寄りのバイセクシャルということにしておきたい、シス・ヘテロとの繋がりも残しておきたい、マジョリティにも軸足を残しておきたい、自分がゲイだとはまだ認められない、という気持ち、わかるな、と思ってしまったので…

なんか、キツかった。そのへんの葛藤を台詞で明言してほしかったのかも。それか、自分はたぶんゲイだ、でも、君のことも愛してる、とあの時点で腹を括っていてほしかった。そのほうが、物語としては気持ちよかったかな…

うーん、真っ当なバイセクシャル(という言い方も変だけど)を真っ当に描いた映画を見たいな…うーん…バイセクシャル=クエスチョニングの状態ではない、という話が見たいんだと思う。セクシャリティの揺らぎを丁寧に描写した作品、もっと見たい、これからなんだろうな…期待したいぞ…

それにしても、かっこいいー!と思う瞬間がたくさんあったので良かった。ロジャー・テイラーは美しかったし、ブライアン・メイはセクシーだったし、ジョン・ディーコンはチャーミングだった。ファンじゃないけど、似てるな!!と思ったしな…エンドロールで、実物のほうがカッコイイ!と思わせたのも良かったと思う。

噂のライブエイド、かなりグッときたんだけど、最後の最後、We Are The Champion をとろけそうになって聴く大観衆の表情を目の当たりにして、醒めちゃったのはごめん。ああこれはアメリカ人の歌だ、と感じたんだよな、わたしにはここまでうっとりと勝利に酔いしれる基盤がないやと思っちゃった。こんなふうに肩組み合って勝利に浸れるような友がいない…と思った。

応援上映、興味あるけどな。記者会見シーンで、答えなくていいよー! そんな質問きにするな! って叫びたいし、会場全体でSING A LONGしたい気持ちは湧いたけど、シリアスなシーンを改めてどんな顔で見ればいいのか…わからん。応援する周りの反応を見てみたい気持ちはある、けど、うーん。

大ヒットしてると聞いて、どうせヘテロ向けに描写が抑えられた映画なんだろうな、ケッ、と期待してなかったぶん、こんなに男臭い、暑苦しい内容なのに、こんなにヒットしてるんだ? なんだよ、日本、めちゃくちゃゲイフレンドリーな国じゃん、と思って、
それならじゃあなんで、LGBTには生産性がない、とか、国会議員の発言を野放しにしてるんだよ、なんでだよ、と思ってしまって、なんか、すげえツライ。すげえツライ。ホントに大衆って、マジョリティって、都合のいい物語だけを消費するよな、とか。溢れるものがある。レズビアンの映画だったらここまでヒットしてなかったんじゃないか、とか。なんかもう、いろんなことを信頼できていない。

終映後、他の観客の感想を聞くのが怖くて足早にシアターを出てしまった。ホモフォビックな言葉が聞こえてきたら耐えられんと思って、逃げてきてしまった。『ムーンライト』は結局、映画館に足を運べなかったんだよな。

なんか、ダメだな、時間差で不安定になった。うーん。うーん。

どうか、いろんなことが良い方向に向かっていますように。
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