Kuuta

ミスター・ガラスのKuutaのネタバレレビュー・内容・結末

ミスター・ガラス(2019年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

「虚構は誰かの居場所になる」という予想以上にピュアな話だった。だいぶ真面目に撮っているので、もうちょっと笑いたかったな。

冒頭の監禁シーン良かった。チアリーダーはアンブレイカブルで穢れや死の象徴とされた「赤い」服を着ている。天井を這って迫るケビン(ジェームズ・マカヴォイ)の視点をカメラの反転で表現するのは、アンブレイカブルでこの世ならざる存在としてのイライジャ(サミュエル・L・ジャクソン)を見せる際に使った技法。話自体はスプリットの続きでありながらアンブレイカブルの演出を取り入れる事で、2つの物語が統合した先にあるのが今作だと示している。

アンブレイカブルでは仄めかす程度だっだが、漫画屋にて緑=ヒーロー、紫=ヴィランと明示される。

ケビンの着る黄色はアンブレイカブルではヒーローのコスチュームだった。病棟でケビンの着る「緑+黄色」の組み合わせはアンブレイカブルラストのダン(ブルース・ウィリス)の服装と同じ。スプリットの時点で「ケビン=黄色好き」の伏線を張り、今作でアンブレイカブルのカラーイメージに絡めて回収している。

ステイプル(サラ・ポールソン)の論理によって、ケビンとダンのアイデンティティは壊されていく。このシーンが非常にスリリングなだけに、それ以降の中盤の会話や、イライジャが動き出すまでの展開がスローペースなのは残念。かなり眠くなった。結局2人ともイライジャの呼びかけに応じる形でヒーロー性を取り戻すが、もっと彼らが戦う意味について葛藤するような展開を見たかった。

(かつて「レディインザウォーター」を「子供じみている」とボロカスに貶した批評家達をステイプルの姿と重ねている、と見るのは流石に深読みか)

付言すると、この映画は特殊能力を善悪どちらのために使うか、といったマーベル的な葛藤を描かない。シャマランはビーストすらあっさりとヒーロー扱いする。いじめや虐待など、辛い経験をした全ての人には特別な才能があるのだから、それを信じてさえいれば「誰もがヒーローになれる」と説く。愚かなチアリーダーと泥水すすって生きてきた自分では、背負っているものが違う、そう思う事で自然とエネルギーが湧いてくる。自己犠牲や利他主義ではなく、「共感」に基づく行動を取るヒーロー論でもある(ケイシーら3人が手を取り合うラストは、ヒーローもヴィランも傷付いた人にとっては同じ価値があると言いたい様に見えた)。

正直、私はスプリットのラストを物足りなく感じていた。傷付いた魂の救済がテーマなのに、ケイシー(アーニャ・テイラー=ジョイ)もケビンも、自分が一人ぼっちではない事を理解するだけで、彼らがきちんと「救われた」描写が無かったからだ(ケイシーによる叔父の告発はあったが)。

だが今作において、ビーストがケビンのヒーローであるとの側面が強調されつつ、ケビンとケイシーがお互いにとっての救いだった事も分かる。スプリットの終わり方として、とても優しいオチを付けてあげていると思った。

これはアンブレイカブルのオチに対しても同じ事が言える。あちらのラストも、ダンを見つけたイライジャの心がどの程度満たされたのか、その描写をバッサリ割愛していた。

だが今作では、「ヒーローとしてのダン、ヴィランとしてのイライジャ」の姿を世界に見せ付けて終わる。イライジャは、自分が特別だったと確信して死んでいく。イライジャの母、ダンの息子がそれぞれ愛したヒーローの存在を噛み締める中、電車は事故を起こす事なく駅に到着する。アンブレイカブルのあっさりしたオチに対するアンサーになっている。

(ただ、ラストに流れる映像の見た目は相当にショボく、イライジャの目論見通りにいったのかは曖昧。それこそ「単なる怪力」やフェイク動画にも見えるバランスなのが上手い)

頭脳のイライジャと肉体のダンと人格のケビン。三者三様の魂が、マイノリティを弾圧しようとする暴力的な組織に立ち向かう、普遍的な話にも見える。三つ葉のクローバー=凡庸さの象徴?

ビーストが毎回上着を脱ぐのがコスチュームを気にするヒーローの様で良かった。大阪タワーの派手な見せ場を観客に期待させといてめちゃくちゃ地味な庭での掴み合い(画面自体が突然間延びした、やる気のない感じになる)に持って行くのもシャマランっぽい。大風呂敷広げた上で全く畳まない、安定のすかし芸。アクションの撮影は相変わらずイマイチだった。

イライジャの行動は結局はテロリストの身勝手な自己実現でもあり、彼の過去の大犯罪を肯定する様な展開だけに、感情の置き場に困る印象は受けた。まあ、この困惑感こそがシャマランらしさなのかもしれないが…。72点。
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