ダワーニャミーンビャンバドルジ

ラッキーのダワーニャミーンビャンバドルジのレビュー・感想・評価

ラッキー(2017年製作の映画)
4.5
昨年91歳で亡くなった名優、ハリー・ディーン・スタントンの遺作となった作品。どうやら脚本はハリーへの当て書きであり、作中でラッキーが話すいくつかのエピソードはハリーのエピソードをそのまま引用したものらしい。

まるでそれが身体の一部であるかのような自然な煙草の吸い方、撮影時点で90歳と超絶高齢ながらそれを感じさせないしっかりとした足取り、行きつけのダイナーと交わす挨拶がわりの"Nothing!"(お前は何者でもない!)という挨拶の軽快さ。

それはとても翌年に老衰でこの世を去った老人のバイタリティには見えなかったが、監督ら製作陣がパンフレット内のインタビューにて「撮影スケジュールが彼の負担にならないようなるべく少ないテイクで撮っていくことを心掛けていた」と語るように、ハリー・ディーン・スタントンは90歳相応の衰え方をした身体を奮い立たせながら撮影に臨んでいたのかもしれない。

映画や物語はあったことをそのまま語るメディアではなく、そこには殆どの場合編集があり、作り手による脚本、エピソード、撮影フィルムの取捨選択がある。そういった意味では、嫌なことやどうでも良いことを忘れてしまえる人間の記憶も、性質は近いものがあるのかもしれない。

主人公ラッキーの、「日に1箱吸う人間としては例外的な健康さ」に代表されるバイタリティは、もしかすると彼を半ば自叙伝的に演じたハリー・ディーン・スタントンの人物像そのままではなかったかもしれない。ワンショット撮ればその後30分は休憩を必要とするくらいには衰えていたかもしれない。

だがハリーを敬愛する監督ら製作陣は、彼の写し鏡たるラッキーを、(そこに一瞬の翳りこそ見せたが、)驚くほど健康で元気な人物として描き続けた。そこにこそ、映画というメディアの、取捨選択の性質の中に宿る優しさがある。時として記録媒体には、正確さ、漏れの無さが求められる。真実を追求する切り札として、争いを決着させる武器として。だが、記録媒体がこうした使われ方をすること、去り逝く先人の偉大さと親しみやすさを嘘も本当も織り交ぜて美化することへの許容こそ、映画が持つ優しさなのだろう。主観が多分に混じり、テイクとテイクの間には無数の「空白」が存在する。だがそうした編集と偏向によって構成された作品は紛れもなく、彼の友人たちが思い描く「ハリー」であり、この極めて私的な、記録というより思い出話の覚え書きは、きっとこれからも「(多分な主観と偏向を含んだ)愛すべきハリーの生き様」を伝え続けるのだ。