ダワーニャミーンビャンバドルジ

キャッツのダワーニャミーンビャンバドルジのレビュー・感想・評価

キャッツ(2019年製作の映画)
1.5
字幕版を鑑賞。今回はネタバレなし。

「犬の生誕以来、猫にとって最悪の出来事」(The BeatのEdward Douglas)、「これまで知られていなかった不浄なポルノのジャンルにうっかり遭遇したような体験」(New York Timesの記者Kyle Buchananのツイート)等々、公開時から批評家たちが異口同音にその恐ろしさを形容し、Washington Post誌に至っては「マリファナや大麻、LSDで予めハイになっておけばワンチャン面白く感じるのではないか」というアイデアの下その体験者たち(一部匿名)の声を紹介、IMDbでは映画史上屈指のクソ映画として名高い『アタック・オブ・ザ・キラートマト』や『死霊の盆踊り』より低い点数を記録、そして1億ドル超の製作費に対する興収の大幅な落ち込みから赤字は必至と予測されるなど、日本での公開前からあちこちで噴出した悪評の数々が話題になっていたトム・フーパーの最新作。その悪評の質と量に好奇心を刺激され、本当に久方ぶりに公開初日鑑賞をキメてきた。

‪海外からの悪評の数々を読んでいたおかげで、面食らって泡を吹いたりトイレに籠る羽目になったりといったことはなかったけれども、やはり個人的には好きになれない作品だった。‬2度目の鑑賞を望むかと問われれば首を傾げざるを得ない。傾げた僕の首は720°回転した後捻じ切れるだろう。

‪ただ、本作の一番の欠点、VFXを活用した行き過ぎたリアル志向は本作だけに見られるものではなく、『キャッツ』はこれまでユニバーサルに限らず多くの映画製作会社が競って進化させてきた技術中心的な志向の成れの果てを見せているに過ぎない。‬

‪『バンビ』から『トイ・ストーリー』、近年で言うと『アナと雪の女王』や去年の"超実写版"『ライオン・キング』など、「現実の質感を再現すれば作品としてのクオリティは自ずと高まる」という幻想に支えられた作品は星の数ほど存在する。その幻想の行き着く先が『キャッツ』であるというだけの話だ。‬

‪インタビューを読む限り、監督のトム・フーパーはこのリアルへの漸近のためのVFXを、映画を「よりよく見せ」るための手段として無批判に採用しているように伺えるのだが、実際のところはこの手段のメリットよりデメリットの方が前景化しているためにこれだけの悪評を集めているのだろう。‬

‪ではこのリアルへの漸近がもたらすデメリットは何か。2つ挙げるならば、1つはファンタジーが捨象していた「見たくないもの」の存在感の拡大、もう1つは漸近しても尚埋められないリアルとの差異の拡大だろう。‬

‪前者について。本作への悪評において「猫だけじゃない」といったコメントがしばしば見受けられるが、それらを描写せざるを得なくなったのは作品がリアルへの漸近を止めなかったからである。半ば機械的なリアルへの執着は、観客が評価したかもしれない猫の体毛の1本1本の質感だけでなく、舞台版『キャッツ』や他の物語において敢えて触れなかった部分、触れても抽象的な次元に留めていた諸々すら全て具体的に細密に描くことを強要する。たとえそれらが観客の望まない細密さであったとしても。その結果が、観客たちが度肝を抜かれたあの猫以外のあれこれなのである。‬

‪後者について。それが作り物である以上、どれだけリアルに近づけてもそれが現実そのものになることはない。‬むしろリアルに近づけようとすればするほど、作られたイメージと現実との差異はより克明なものとなり、「作ろうとした」イメージとも現実とも異なる異形の何かを生み出してしまう。『キャッツ』において、登場するキャラクターたちは猫の毛を全身に生やしながら、人間の骨格、顔、手足を保持する。舞台版では、キャラクターたちを猫たらしめる外見的要素は衣装であることがわかる衣装とメイクであることがわかるメイクであったが、本作に用いられた類稀なVFX技術は彼らを猫たらしめる一切の要素をその身体に縫い付け、またその縫い目も不可視のものにしてしまう。そうしてスクリーン上には、猫とも人間とも異なる異形の存在が浮かび上がる。また彼らは猫の所作を真似て動き回るのだが、その身体が人間の骨格、顔、手足を保持しているために、その運動は猫の所作が持つ優美さを完全に失い、しかしながら当然人間の所作ともかけ離れているため、猫とも人間とも異なる全く新しく不気味な運動が出来上がるのだ。

アニメーションか実写かを問わず、CGを扱う映像作品はリアルに、よりリアルにと現実との漸近を追い求めてきたが、『キャッツ』で描かれるのはそうした理想への盲信が生み出したキメラたちの歪なダンスに他ならない。映画界(のあくまでも一部であってほしい)が半ば集団催眠的に囚われた先入観について教訓めいた仄かしを与えてくれるというただその1点において、トム・フーパーの仕事は評価されるべきだろう。彼がそれを意識したかは怪しいが。