ぴのした

ザ・スクエア 思いやりの聖域のぴのしたのレビュー・感想・評価

3.6
久しぶりに難しめの映画を見た。北欧の社会派映画。パルムドール取ってるらしい。

見るものの心を揺さぶる「ザ・スクエア」という展示作品をめぐるブラックコメディ。ではあるけど、中心になるのはそれを展示する美術館の学芸員の話で、盛り上がりどころがイマイチ分からない。面白いかと聞かれたら、面白くはなかった笑

ただ言いたいことは何となくわかるような気がする。物乞いがいっぱいいるスウェーデンの街で上流階級的な暮らしを送る主人公たち。物乞いや貧しい地区の子供は相手にしないが、自分も窮地に立たされてそういう人たちに向き合う、っていうお話なんだよね?

地面を四角で囲っただけのザ・スクエアという現代アート。「ザ・スクエアは思いやりの領域です。ここでは誰もが平等に権利と義務を持ちます」。これは面白い!シンプルだけど画期的だ!このスクエアに困った人が入れば、みんなその人を助けざるを得なくなる、面白い試みだ!と主人公は言う。

でもちょっと待てよと。「誰もが平等に権利と義務を持つ」って特別なことのように聞こえるけど、今の時代じゃ大概の国でそんなことは憲法に書かれてるくらい当然のことなんじゃないの?とふと思う。

他の人のレビューを読んでハッとさせられたのは、こういう上流階級のあいだでは、インタビューで暴言を吐く精神病患者に出くわした時、パーティで暴れるモンキーマンに出くわした時、「どこまで助け合えるか、寛容であれるか、見捨てないでいられるか」っていう一種のゲームを強いられるんだね。

特にモンキーマンのシーンはすごい。緊張感が半端ないし、自分もその場にいるような気がして、この映画の本質的な部分が体感的に分かる。逃げ出したいけど、逃げたら不寛容で芸術が分からない馬鹿だと思われたくないから逃げたくない。そんな心理が見てる側にも伝わる名シーン。

見捨てて仕舞えば「あいつは不寛容なやつだ」となってしまうからか、みんな寛容なフリをする。そこら中にあふれている物乞いには目もくれないくせに、人目があるところでは「寛容で品のある」人物を演じなくてはいけない。そういう意味で上流階級の社交場は「ザ・スクエア」的な偽善のゲームを生んでいると言えるのかもしれない。

最後に主人公とその娘たちが、おそらく貧しいであろう少年のアパートに行くシーン、四角い螺旋階段を上から撮ったところが印象的だった。階段の手すりがいくつもの四角形を作っていて、主人公が階級の垣根を超えて貧しい地区の少年に謝りに行くことで、「真の思いやりが発揮された(ザ・スクエアの真の理念が達成された)」ことを表しているみたいに見えた。

それでもまあとにかくこのブラックジョークを直感的に理解するのはなかなか難しい。寛容なフリをしているけど実はみんな寛容じゃないからみんなしんどくならざるを得ないってのが笑いのポイントなのかな。

適当に物乞いをあしらう主人公、みたいに描かれてるけど、怒鳴ったり無視したりせずに普通に「いま現金はないから」って断るしサンドイッチ買ってあげるし優しくない?笑日本人やアジア人は怒鳴りつけたりガン無視決めたりもっと冷たいよ。北欧の基準値高いな〜〜と思って見てた。

助け合うのが少なくともブルジョワ層では当たり前の社会だからこそ、こういう偽善ゲームを描いた映画が作られるんかもしれないね。

あとはアカペラのBGMがすごく雰囲気にマッチしてて良い。21世紀美術館に行きたくなった。画面も北欧映画らしく、ほとんど固定カメラが多くて絵画的。