やまモン

JUNK HEADのやまモンのネタバレレビュー・内容・結末

JUNK HEAD(2017年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

【これもまた人間の世界】

映像作品としてのチャレンジが特にクローズアップされがちなこの作品。

勿論映像作品としてのチャレンジは素晴らしいが、その点については、多くの人が触れているので、ここでは内容についての助言を少し述べてみたいと思う。

大まかなストーリーは、主人公の人間(但し機械化していて肉体を持たない)が、自分たちの住む世界の下の世界へ探索に向かうというものである。

この世界観としては、世界は機械の塔のような形状で縦に展開していて、人間は上層部に住んでいる。

そこでバーチャルではあるがハイソな暮らしに退屈した主人公が、未だ見ぬ世界へと降りて行く。

勿論、この世界は下へ行くほど、無秩序であり、生物は不恰好であり、機械はオンボロになっていく。

この、主人公が「降りて行く」という行為が、私には何となく、社会の階層を降って行っているかのように思われた。

即ち、この世界の人間イコール「上級国民」で、下の世界の住人イコール「労働等に従事する大衆」のような感覚である。

上級国民として下層社会に赴こうとした彼は、あえなく社会階層を転落獅子舞い、それにともなってハイソな機械であった身体もオンボロとなってしまう。

人間というものは、階層を降ると、身体機能も知能もその階層相応のレベルに同化してしまうものなのであろうか。

前述したように世界は下へ行くほど非道くなり、本来であれば途方に暮れたくなるところである。

しかし、非道く見える世界にも、多様な人々や生物等による社会がある。

この中には、詐欺師や危険な生物もいるが、一方では、面白い奴、カッコいい奴も、そしてカワイイ奴も居たりする。

住めば都と軽々しく言いたくはないが、きっと世の中とはそういうものなのであろう。

兎に角、世界は広く、そして多様であり、何処で生きるとも、面白きことはきっとあるのかも知れない。

また、主人公が下の世界へ探索に向かう動機が、いわゆる少子化対策である点も面白い。

主人公は生物の巨大な生殖器を持ち帰ろうとして、それが尻尾であることに落胆するのであるが、そもそも肉体を捨てた者たちが今さら精力をつけたところでどうなると言うのであろうか。

何だか笑ってしまいたくなるが、この様な勝手な解釈も成り立つのかも知れないと考えると、割と含蓄のある作品なのかもしれない。