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累 かさねのumisodachiのレビュー・感想・評価

累 かさね(2018年製作の映画)
3.2
SNSで評判が良かったので、観に行ってみた。漫画原作。

今は亡き伝説の女優の娘として生まれた累(かさね)は、不美人な上に顔に大きな傷があり、周囲に疎まれ隠れるように暮らしていた。そんなある日、1人の男がやってきて、美人だが演技の才能がないニナと累を引き合わせる。キスするとお互いの顔が入れ替わるという不思議な口紅(母親が累に渡した)を使って、女優として天性の才能を持つ累は"ニナ"として表舞台に出る決意をする……。

ニナを演じる土屋太鳳と、累を演じる芳根京子の演技合戦が見どころ。とはいえ、ステージの上で演技をしているのは常にニナなので、派手な芝居部分は土屋太鳳が頑張っている。中身が累のときと、中身がニナのときとの演じ分けなど、なかなか見ごたえがあるし、終盤の劇中劇『サロメ』でのダンスなんかは、流石に魅せる。芳根京子も負けてはいない。キスによってコロコロと入れ替わる人格を表情ひとつ、身のこなしひとつで表現していて、これまた見事だった。

ただ、作品として好きかというと、微妙だ。そもそも、私は憑依型の芝居が好きではない。元々はレオナルド・ディカプリオのファンだし、メソッド系の芝居が好きだった。しかし、舞台をよく観るようになって、さらには作る方にも回るようになると、認識が変わってきた。

その瞬間瞬間のベストを捉える映像と違って、舞台は同じものを何回も繰り返さないといけない。理想は、全く同じ質のものを、初日から千秋楽まで同じテンションで繰り返し続けること。そのために必要なのは、冷静さと賢さとペース配分の巧みさだと思っている。その作品を的確かつ自分なりに解釈し、演出家の意図を正確に汲み取り、全体の中での自分の位置を常に客観的に意識しつつ、必要な個所で瞬発力を発揮することができる能力。

現場で見ている限り、凄いと思う役者はいつも、全体のバランスを見極めながら、自由自在にスイッチを入れることができるように見えた。もちろん才能があるのは大前提なのだが、それと同じくらい、頭の良さと経験値と視野の広さが重要な仕事なのだと思う。1人だけ大熱演をしたところで、周りのテンションと合っていなければ、浮いてしまって逆に観客を冷めさせる。バランス感覚と客観的な視点、そしてカンパニーの士気を維持する高いプロ意識が超重要なのだ。

だから、本読みの途中でいきなり泣き出すとか、経験がないからキスシーンに躊躇するとか、本番中に分刻みで舞台と関係がないことをしようとするとか、ちょっとね……とりあえず、カンパニーの士気を下げるよね。要求されたことができなくて悩むとか、演出家にケチョンケチョンに言われて泣くとか、そういう場面は現実にいくらだってある。でも、通しの稽古をしているのにキスシーンでイヤがるというのは、それ以前の問題だ。初日の前夜に男と会おうとするのも、本番直前に1回劇場を離れるのも、全部ダメ(初日の本番前に中抜けする時間なんて、普通ないですよ)。いくら才能があったところで、これだけプロ意識がないと引いてしまう。もちろん、フィクションだし仕方がないのは分かるのだが、舞台の話だからどうしても引っかかってしまって、のめり込めなかった。

あと、最初の方でニナが累に『かもめ』の芝居の細かい解釈について指図しているシーンも疑問だった。才能があるのであれば、累
はニナに言い返せるはずだ。作品について、自分が演じる役について、自分なりの考えがないと芝居なんてできないのだから。ただ台本に書いてあるセリフを読むだけで、皆の心を掴むような芝居などできるはずがない。私にとって演劇とは、そういうものではない。北島マヤだって、いつも細かい設定やプランを考えて芝居していたでしょ?(そして、やりすぎると全体のバランスを乱すから"舞台荒らし"と呼ばれていたでしょ?)まあ、立場が弱くて言い返せなかっただけってことなのかもしれないが。

主演ふたりの演技は確かに素晴らしかったが、あくまでもそれは映画だからの話。演劇業界の話として見ると、違和感が拭えなかった。あと、ちょっと雰囲気が濃すぎるかな。もうちょっと抜け感がほしい。『サロメ』部分も長すぎる気が。あ、ちなみに演出家と女優がデキちゃうのはよくある話ですが(俳優同士もよくあるけど)、稽古場にふたりっきりで残るってことは考えにくいかな。稽古場を最後に閉めるのは制作さんなので、あの状況だと室内か前室に絶対に他の人が残っていると思う。稽古場、ガラス戸だったし前室にいたとしても見えちゃうよね。



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