海

ジュリアンの海のレビュー・感想・評価

ジュリアン(2017年製作の映画)
-
ジュリアンのような体験をしてしまう子供が一人でも少なければいいと思う反面、わたしはすべて過ぎ去った後のこの気持ちを知らなければよかったとは思わない。かつてわたしはジュリアンと同じ境遇にあった。両親の離婚理由は父から母へのDVで、ショットガンを持ち出されたことはないにしても包丁を見たことならあった。わたしは父のことをいまも許せないし恨んでいるけれど、だからこそわたしは本作の提起する問題の根底は、この父親そのものなんかじゃなく、それを許してきたすべての人たちではないだろうかと考える。わたしは両親が離婚してから長い間、人前では囁くような声でしか意思を伝えることができず、大人だけじゃなくクラスメイトの男の子でさえも怖くて仕方がなかった。そんなわたしを面白がって、隙あれば追いかけ回して楽しんでたつかさくんという男の子が居て、わたしはいつも机の下や廊下の隅に追い詰められて、涙でぐちゃぐちゃになりながら誰か助けてくれるのを待っていた。それでもわたしはつかさくんを恨んだり本気で怒ることができなかった。つかさくんの両親は厳しく、他者からの評価を重ねた上でしか存在を認めてもらえないことを、大人の会話や本人の態度から子供心に感じ取っていたからだった。わたしには母が居た。「ママはママだけど、パパでもあって、友達でもあって、どんな時でも海の味方だからね」と、何度もそう言ってわたしを抱きしめてくれる温かい胸を知っていた。つかさくんにはそれがなかった。彼の心はどんなに冷たくて、寂しくて、悲しいか、想像しただけで胸がつぶれそうに痛んだ。つかさくんの冷たい心は、父親に突き放されたまま泣いているわたしの姿であって、たった一人で自分と子供たちを守らなければいけない母の姿でもあった。母が大切だと言って抱きしめてくれたわたしのからだ、先生がかわいいねといつも褒めてくれたわたしの笑ったときの顔、喋れないわたしに飽きたりせずに最初から最後まで友達で居てくれた女の子がきれいだねと気づいてくれたわたしの好きなもの、わたしはそうやって生きていくだけでよかった。痛みさえも自分の一部だと許してあげることができた。職員室に連れて行かれるつかさくんを見てると、自分はそれでもしあわせだと、諦めでも何でもなく、むしろあわれみにも似た思いで、恐怖の中にありながらも心からそう思った。小学校低学年のころは、夕方五時まで働く母を待つために放課後クラブに通っていて、そこでできた友達は学年はバラバラだったけど「迎えを待つ」という同じ寂しさの中で数時間を一緒に暮らしていた。晴れた日は校庭で遊んだ。鬼ごっこやケイドロが嫌いだったわたしのために皆かくれんぼをいつも選んでくれた。陣地取り、りんごがなんこ、だるまさんがころんだ、いろんな遊びをした。あの日はきっと夏の終わりか秋だった、友達の一人が転んで、膝を擦りむいてしまって、バスケットゴールの下で皆でその子を囲んで先生が来てくれるのを待っていた。そばに居た友達が、「海ちゃんは、ひとが痛いとき、その子よりも悲しい顔するんやね」ってわたしの顔を見つめながら言った。「やさしいね」。そのときの、嬉しいのか悲しいのかわからない複雑な気持ちを、いまもすこし思い出せる。友達と四葉のクローバーを探したこと、交換日記をしたこと、防犯ブザーをなくしたこと、ママと手を繋いでスキップをしながら車まで帰ったこと、はじめて仔犬が来た日のこと、風邪で休んだ日に、玄関の鍵の開け方が分からなくてトイレの窓から友達に連絡網を渡してもらったこと。わたしは同じ年頃の友達に比べて、ずっとひとの痛みが分かる子供だったと思う。それは自分が傷ついて、自分の大切なひとが傷つくところをはっきりと見て、悲しんで、怒って、やり場のない想いのあまりの多さに泣き出して、ずっとそれを凝視し生きていたからなんだと思う。さみしくておびえてたはずのあの日々のことで今思い出せるのは、それでもここに綴ったように、温かい記憶ばかりだ。ジュリアン。きっとわたしは、彼の気持ちの半分さえ解ってあげることができないかもしれない。でも本作は決して絶望の物語ではなかったのだと思う。そう思えるのはわたしがわたしだからなんだとも思う。失ってしまったものは二度と帰ってこないし、欠けてしまった場所はほかのピースじゃ絶対に埋められない。それでも、普通の家庭、普通の人生、それよりももっと、自分で守った命のほうが、わたしにはずっと価値があった。見えない振りをしてしまうもそうだけど、見える振り、解る振りをすることで、子供の口を塞いでしまうことが、そして誰もそれに気づけないまま急ぎ足を促す現代社会が、どんなに恐ろしいか。わたしは本作を悲観しない。絶望しない。目を離さない。それがわたしの手にした強さだから。いつか本作を観るひとたちへ、たった一瞬でも同じ境遇を生きたひとたちへ、わたしは書き残します。これは祈りだと思う。子供だったわたしにはできなかった祈りだと思う。
海