Yoshitsune

シリアに生まれてのYoshitsuneのレビュー・感想・評価

シリアに生まれて(2016年製作の映画)
4.6
国連UNHCR難民映画祭 「観なかったことにできない映画祭」

その2 「シリアに生まれて/Born in Syria」

 「シリアに平和が訪れたとき、遠い日本にいるあなたも風に乗せて千のおめでとうを送ってほしい。」

 シリア紛争勃発から7年。なおも難民は発生し、トルコへ、ギリシアへ、果ては遥かドイツを目指して途方もない大移動を続けている。そんなシリア難民の放浪をある数名の子供にクローズアップしてオムニバス形式で劇的に描き出す。一年以上の追跡を経て制作された渾身の一作。

 オープニング、深夜に哨戒艇が発見したすし詰めの難民ボートがギリシアの海岸に上陸するモンタージュから始まる。まるでつい最近まで我々と同じような暮らしをしていたような彼らの身の着をみて戦慄が走る。この惨劇はアフリカの、部族間での戦闘が絶えない無政府地帯で起こったことではない。世界中のどこでも、日本でさえも、緊張の糸が切れた途端に大量の人々が逃げ出すことになるのだ、と。ようやく理解する。途端に当事者意識のような、感情移入が芽生え、胸が苦しくなる。誰一人としてみすぼらしい人はいない。ただ、保護のない限り、これからそうなっていくばかりなのだ。

 観衆を引き込む劇的なオープニングから、次は西バルカンルートを通る子供がクローズアップされる。陸路で進む彼らの問題点は二つだ。一つはバス支援のない限り、千数百キロの旅路を徒歩で行かなければならないこと。もう一つは多くの国を通らなければならないということだ。ハンガリーの国境封鎖、難民への催涙弾と放水は国際的な非難を浴び、欧州連合の諸規定に違反しており、欧州人権裁判所への提訴もなされている。なんたる非道な国か、そうしたヴィシェフラド・グループへの否定的な意見は自分の中に間違いなくあった。しかし、子供たちがブダペストにたどり着き、休んでいる姿が映し出されたとき、その意見は揺らぐ。中世風の洒落た街中にある近代的なブダペストのターミナル駅、そこに無数の難民が所狭しと野宿をしている。警察と難民との暴力沙汰は日常茶飯事、絶えず怒号が飛び交う、観光地とは思えない異様な光景。首相の「我々の国に来ないでください。」と述べたスピーチは、今は悲痛な懇願にすら聞こえる。

 彼ら難民の子供の中には、最初はレバノンで避難生活をしていたものもいる。だが、友好国であるはずのそこでもシリア人というだけで激しい迫害を受け、遠く欧州での庇護を求めざるを得なくなってしまった。またある少年は22歳にすぎない叔父と二人で放浪を続けている。あどけなく舌足らずな彼は「両親は死んだんだ。」と平然と語る。そして、最後に登場するトルコに住む男の子、彼は父とシリアの自宅にいたが、目が覚めたらおじさんの横で眠っていたという。爆撃を受けたその身体は大部分が大やけどを負い、左手は癒着して動かない。早くシリアに戻って父と会いたいという彼に、おじさんは父が爆撃が直撃して死んでしまったことをまだ告げられていない。「あんな身体で、希望まで失ったら、間違いなく父のあとを追うだろう。」

 子どもたちはみな「美しい国シリア」へ郷愁を抱き、時に詩を作って歌っている。パルミラなど多数の世界遺産に古くからの街並みの残る彼の国シリアは美しい国であった。大人たちの反応は違う。彼らはシリアについて、「戻ることはもう忘れよう。」と言う。彼らは知っているのだ。シリアの街並みがISISと度重なる空爆によって瓦礫の山と化してしまっているのを。
 もう後戻りはできない。からがらドイツやベルギーなどの受け入れ国に辿りついてもコミュニティに馴染めるかは確実でない。仕事先や住居さえ当てがない。こうした状況にホスト国の限界から徐々に受け入れ年限が短縮が重なり、徐々に難民の解決策がなくなってきている。

 この映画の最後は、映画撮影終了時の子供たちの状況が、おそらく「悪い方から」順に表示されていく。ただし、相対的に示すから良く見えるだけで、後の子供たちが幸福な暮らしをしているのかというとそうではない。当人の命の保障があるだけで、家族とはなおも離れ離れ、現在も未来もまるで明るくないのが実情である。

 本レビュー冒頭の言葉は上映後のJICA隊員の女性がシリアを去る際にある家族の母から送られた言葉である。果たして帰還が実現しても、いつおめでとうと言うべきなのか。私にはわからない。
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