ariy0shi

パンとバスと2度目のハツコイのariy0shiのネタバレレビュー・内容・結末

3.8

このレビューはネタバレを含みます

主人公の市井ふみ(深川麻衣)が、早々にプロポーズしてきた男に持論をぶちまける。
「今まで付き合ってきたひとと自分は何が違うの?そのひとたちとは別れたのに、なんで私と別れないって言い切れるの?」

そんな質問、聞かれたところで誰だって答えに窮するし、そもそも答えなどない。すべては、やってみた後の結果論でしかないのだから。

答えがないからこそ、ひとは恋愛や結婚にモヤモヤとし、ふみのように拗らせてしまう。しかし、その答えがないことへの対処法については、劇中ふみ自身が彼女なりの解答を口にしている。
もともと絵を勉強し、今はパン屋で働くふみが、妹でやはり絵を描く市井二胡(志田彩良)に語った「絵の終わらせ方」がそれだ。

「その瞬間にわかるというか、最初から最後が見えているわけではなくて、突然、『ああ終わるな、もう終わりだ』と気づくというか。でもたまに、『ああ、あの時が終わりだったんだ』と気がつくことがあって、そういう時はもう蛇足というか、もう良くなることはないとわかっているのに、ダラダラと描き続けちゃうってことはあったかも」

最初から最後が見えているわけではない、ということは、やってみなくちゃわからない、と同義である。悶々と考えてばかりいないで、自らを行動へと誘う下地は、すでにできあがっていたのだ。

劇中、ふみが親友の石田さとみ(伊藤沙莉)に「付き合ったり、結婚したりしてないから一緒にいられるってあるのかな?」とこれまたクセのある質問を投げかけ、さとみを唖然とさせるシーンがある。それってすなわち昨今の「推し活」じゃないかと思えたのだが、ここに恋愛や結婚といった営みの本質が見え隠れする。

恋愛や結婚にリスクがあるとすれば、相手も自分も傷つく可能性があること。
他人と関わり合う度合いが深いゆえに、自分の思い(希望、わがまま、夢、ライフスタイルなど)と相手の思いが交錯する。それぞれの思惑は時に一致し、時に平行線を辿り、時に反発する。結果的に折り合いがつけられなくなればその関係は終わりを迎え、結婚という面倒な契約問題をも乗り越えると、離婚となる。

実に面倒くさいし、リスクも高い。

その面倒を負ってまでもなぜに恋愛や結婚をするかといえば、その面倒、煩わしさの根源に、「自分を含めた人間自身が面倒で煩わしい」という、身も蓋もない事実があるからだ。

ひとが2人以上いれば、その間に「政治」が生まれる。
政治とは、利害の調整である。
人間は政治的な生き物だ。
恋愛や結婚関係は、最小単位で人間同士が政治的にぶつかり合う場とも言える。

もちろん、この関係が悪い話ばかりではないというのは、映画の最後でも希望的に描かれている。己を含めた人間の煩わしさを背負い、前に進むと、得られるものがあるかもしれない。やってみなくちゃわからないのだからね。

本作のモヤモヤやキュンキュンとは、すなわち、そんなことを言っているように思う。
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