ぼくは黒沢清監督の空間造形と編集妙技が好きで好きでしょうがない。
『クリーピー』に出てくる奥まった家と地下室。本作の不自然なカーテンで仕切られた部屋と、非常階段のような狭苦しい入口。
組み合わせで世界を作れてしまうのが、映画の醍醐味だ。
また、黒沢監督は「こちら側」と「あちら側」を曖昧にする。多くの作品に、半透明の遮蔽物やカーテンが登場するのは、曖昧に区切るためなのだと思う。
川や幹線道路を横断するシーンが多く見られるのも、向こう側を往来可能のものとして描くためだからだろう。
冒頭、辰雄がカーテンの向こう側で佇んでいるのを見てゾクゾクしている時点で、ぼくはすでに黒沢中毒にかかっているのだと思う。
映画とは現実を使って、現実を作り替えるものなのだと強く実感した。