岡田拓朗

娼年の岡田拓朗のレビュー・感想・評価

娼年(2018年製作の映画)
4.0
直木賞候補にも上がった石田衣良原作の小説を、三浦大輔監督によって映画化された作品。

R18である今作は、性を大胆に描きながら、その性から人と向き合うことで、心を閉ざして他人を受け入れようとしなかった一人の青年森中領(松坂桃李)が娼年になり、様々な女性と交わることで、様々な人を受け入れるようになり、徐々に自身の心をも開くようになり、人として成長していく姿を上手に表現している。

ただ性を描くだけでなく、そこに至るまでのそれぞれの境遇のその人自身を対話ややりとりからしっかりと描くことで、あらゆる人の多面性やそれを受け入れることの必要性、まずは知ろうとすることの大切さを訴えている。

また、人は感情やエクスタシーと無縁では満たされた状態で生きていくのは難しい。
だからお金を払ってまで、それを満たしてくれる誰かを求めて生きていくのである。

今作では、こっち側の人やそっち側の人みたいな表現が作中で使われていたが、友人が放ったお前は俺と違って昼で生きていける人なんだよと訴えたシーンは個人的に響いた。

これは、作中に出てくるような仕事やそれを利用しないと満たされない人とそうでない人を、人としてわけている言動であり、そこで現実に引き戻されたから。
現実はやはりまだ理解がない、受け入れられていない、そんな世界のできごとなんだと。

でもそれは本当は住む世界をわけるような表現をするようなことではなくて、誰もが満たされたいと思いながら生きているのは一緒で、その方法が人によって違うだけだから。
人間とはそういう生き物であるから。
今作はそんなことを考えさせてくれた。

さらに、男性と女性により、明らかに満たされると感じるポイントや深さは異なっていて、それは人によってももちろん違う。
今までの生活環境や今の生活、経験などによって異なるし、その違いみたいなものを相手に伝えられないままに察するのは難しいと感じることが多い。

よくあるのが、自分だと全然気にしないことが他の人だったら物凄く嫌に感じることがあったり、それはセックスで満たしたいことになるとより顕著に表れたりする。
男は独りよがりにしてしまいがちで、それが森中領の冒頭のセックスでは完全に露わになってしまっていたのではないか。
だから御堂静香(真飛聖)は納得していなかったように見えた。

女性を一堂につまらないとして、芯となる部分に向き合わないのは簡単である。
それが森中領が娼年になる前である。
自分もそうなりがちになってしまうことが、最近は特にあった。
でもそれだとダメなんだと、それで自分の満たしたいことだけ満たそうとしても、そんなのは受け入れられるわけがない。

人が普段隠していることにこそ、その人らしさが詰まっているのに、だからこそ後ろめたいものや恥ずかしいものもそこにはあり、それをなかなか表には出せない。
だからこそ、それを含めて受け入れられると感じたときに、人はその人に全てを解放しようと思えるんだなと。

歳を重ねてよい年齢になったことへの背徳感を持った女性、夫に相手にされず満たされていない女性、幼少期のエクスタシーを忘れられない女性、純粋に領を求めていた女性など…様々な境遇の女性を森中領なりに受け入れて寄り添い満たしていく。
そこに大切なことがしっかりと詰まっていたように感じた。

セックスは、自らの欲望を満たすために行うことであることを迫りつつ、その欲望の方向性と深さが人によって違う。
愛を感じたい欲、ただ気持ちよくなりたい欲など、それは人によって違うんだなと今作を観て感じたし、性の世界はここまで複雑で深いんだということを知れた。
このことを知らずに、ただこの世界のことをバカにしたり否定することの方が浅はかなんだとも思い知らされた作品であった。

そして、今作においてはキャストの演技がとてもよいです。
松坂桃李は本当にさすがと言わんばかりに、複雑な胸中の青年を演じる。
こんなにイケメンなのに、確かに普通に見える部分もあり、心が揺れる部分の微妙な表情の変化や激しく演じる部分の温度差が完璧だった。

それ以外はほとんどが知らない女優だったが、それぞれの色が出ていてとても印象に残った。
特に冨手麻妙が、声を出せない役柄だったのだが、あの表現力がすごくて圧巻だった。
「隣の家族は青く見える」に出演していた真飛聖もさすがの演技。存在感と大人の美しさ。

これまでの三浦監督作品の中でも、個人的には上位に入る。
石田衣良もこんな世界観を書けるなんてやっぱりすごいなーと感心した。
岡田拓朗

岡田拓朗