ニャーニャット

ファントム・スレッドのニャーニャットのレビュー・感想・評価

ファントム・スレッド(2017年製作の映画)
4.5
男が「愛」による変節を恐れ、「愛」に屈服し、ねじ伏せられる物語。

ウッドコックにとって、魅力的な女性とは自分のドレス作りにインスピレーションを与える「ミューズ」でしかなかった。そして、彼にとっては「愛」はドレス作りひいては人生における「ノイズ」でしかない。

ミューズに対して「愛」を抱いたとき、そのドレスを纏う中身に情が湧いたとき、彼は自分の芸術家としての変化に恐れおののく。そして、そのミューズを使い捨てる。おそらくそんなことをずーっと繰り返してきたことがお姉さんとの会話の中から窺いしれる。

序盤でもジョアナという女性を使い捨てるが、これも決してミューズとしての魅力が無くなったわけではなく、むしろ逆である。ジョアナを「ミューズ」としてでなく、「女」として愛し始めたことに恐怖していたと考えられる。
お姉さんがもうジョアナは潮時かもねと尋ねるとウッドコックは「最近、僕の心が乱れる。どうにも言い表すことができない。とてもざわめく。なぜかママの思い出が鮮烈に甦る」と吐露する。これは彼が唯一愛した女性である母親にジョアナを重ね始めたことを告白しているのだが、伏し目になった姉は彼に別荘での休養を勧める。彼女はそんな彼の心の機微をつぶさに読み取っていたに違いない。

これは、彼がアルマに毒キノコを盛られ、意識が朦朧としていたときに母親の姿が現れたことからも傍証される。彼の中でアルマの存在がドレス作りのミューズとしてでなく、1人の愛する女性として侵食し始めていることがこの母親の姿で表現されている。

このキノコの毒をもって、彼の芸術家、職人としての棘を枯らせていく表現が寒気がするほど恐ろしく、

棘がぬけたウッドコックは、徐々にアルマを「女神」としてでなく、「女」として受け入れていく。なんと結婚までしちゃう。

風邪をひいたり弱った時に優しくされたら男はイチコロなんてよく言われるが、その類の単純な話なのかもしれない。

とにかく、彼はアルマをひとりの女性として求めるようになる。
心配と嫉妬で医者に誘われた新年を迎えるパーティにアルマを迎えにいくシーンなど以前の彼なら考えられなかった。そこでダンスを踊ることはないのだけど。もっとも印象的なシーンで、おそらく一番この映画にお金がかかってるシーン(笑) その美しさはPTAの面目躍如といった感である。

そして、アルマを愛していくと同時に彼の作品であるドレスに影響が現れる。以前作れていたものが作れない。お得意さんであり、彼の芸術への最も深い理解者であったヘンリエッタが彼のハウスを去ったのは彼の芸術家としての変節を察したのだろう。
そして、彼も自分の変化に恐れを抱き、アルマとの結婚に後悔を始める。また、以前と同じく姉の力を借りて、アルマを追い出そうとする勢い。

ピンチのアルマは再度彼に毒を盛ることを決意する。今度は二度と彼が後戻りできない致死量の毒を…まったく恐ろしい話だが、今度は彼は出されたそれが毒と知りながら口にする。
この瞬間アルマは芸術家としてのウッドコックを殺害し、ウッドコックは芸術家としての自死を果たす。
このときのダニエル・デイ=ルイスの演技はもうさすがとしか言いようがない。彼以外の演技でPTAの映画を観たくないと思わせるほどの迫力。繊細さと大胆さが共立し、冗談じゃなく鳥肌が立った。なんでアカデミー賞取れなかったんだろ。見逃してた『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』も観てみるか。

結局、彼はキノコの毒から身体的な回復は果たすが、もうアルマから離れたがることはなく、まちがいなく彼の作るものに変化が起こったに違いない。そして、それが彼の恐れていた結果になったのか、それとも新たな価値を生み出したのかはわからない。ただ、「愛」とはそれほど残酷かつ強烈で、甘美な「毒」なのだということを知らしめられた。

『There Will Be Blood』以降のPTAはいつも演出もキャラクターも仰々しい。仰々しすぎて、人間臭すぎて、逆に人間味がないというか。
ただ彼のそういう人間の内面のシンボリックな表現が堪らなく好きなんだよなあ。出てくる役者の強烈な演技力も手伝って、なんかものすごい濃いウイスキーを煽ったあとのようなヒリヒリした後味が残る。

ちなみに、今回もジョニー・グリーンウッドの音楽最高でした。『House of Woodcock』をヘビロテしてる。