えむえすぷらす

ベン・イズ・バックのえむえすぷらすのレビュー・感想・評価

ベン・イズ・バック(2018年製作の映画)
5.0
 オピオイド処方鎮痛薬問題を扱った作品。松浦美奈訳はその点をきちんとおさえていて良かった。

 アメリカの麻薬の戦いは1995年に依存性の低い麻薬じゃないとされた処方鎮痛薬の発売が徐々に様相を変えていった。その事を踏まえた作品だという事を理解してないと劇中のやりとり自体わからない。私もオピオイド問題はアメリカの現在を描いたノンフィクションや新聞記事で興味を持ち調べてますが、全てがわかった訳じゃないけど、麻薬戦争的な解釈では合わない問題になっている。

 2012年制作の麻薬ドキュメンタリー(amazonプライム「世界の麻薬産業」シーズン2第8話)で処方鎮痛薬問題は1エピソード当てられ、その中で保安官だったと思いますが麻薬より最悪だと言わしめている。何故なら一般人に薬が処方されそれが時に引き金になるため。

 ホワイトハウスの公式サイトには麻薬戦争ではなくオピオイド鎮痛剤の蔓延、過剰摂取死対策の特設ページのリンクが設けられており、危機認識は麻薬より1段次元が違う。というのもオピオイド受容体に作用する鎮痛薬分類で考えるとモルヒネも含まれるけど、アメリカでは何故か単なる強力な鎮痛剤扱いされてきた。
 日本の厚労省だと明らかに医療用麻薬扱いするものを医薬会社が依存性の少ない鎮痛剤と称して1995年に製品化して積極的拡販マーケティングを行った結果、違法な処方箋での入手や患者の余剰薬の転売によって麻薬同然に流通するようになった。薬品所持自体が即違法と言い切れず、強い麻薬を手に出す原因(ゲートウェイ・ドラッグ)にもなっていて大変な問題になっている。
 オピオイド鎮痛剤は経口錠剤ですが依存症になっていると溶かして静脈注射するようになる。そうなれば過剰摂取死までさほど距離がない。

 製品化した製薬会社の経営者一族の美術館などへの寄付での名声ロンダリングも最近ようやく問題視されるようになった状況。
https://bijutsutecho.com/magazine/insight/19598#.XKvb_X29Mnk.twitter

 国会図書館:立法情報2018年11月No.277-2『【アメリカ】孫を養育する祖父母を支援する法律』の解説でもオピオイド過剰摂取問題は取り上げられている。
「アメリカでは医療用鎮痛剤オピオイド(opioid)の過剰摂取による死亡が社会問題化している。保健福祉省(Department of Health and Human Services)の統計によると、2016 年にアメリカ国内において、オピオイドの過剰摂取が原因で毎日 115 人以上が死亡した。特に妊婦の中毒者の増加が深刻であり、1999 年には 1,000 人中 1.5 人であった妊婦のオピオイド中毒患者数が、 2014 年には 6.5 人へと急増している。また、2016 年の薬物の過剰摂取による死者は 63,632 人 (前年比 22%増)、その約 3 分の 2 がオピオイドに関連すると報じられている」http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_11179142_po_02770202.pdf?contentNo=1

 まだまだこの問題は続くし、フィクションの世界での取り上げはこれからどんどん増えるだろう。
 なおアメリカを舞台にしたフィクションの世界ではNetflix「サバイバー宿命の大統領」シーズン3やamazonプライム「ボッシュ」シーズン5でも取り上げられたし、小説だとリー・チャイルド「ミッドナイト・ライン」で主要な題材として取り入れている。



 ジュリア・ロバーツ演じる母の怒りと困惑と悲しみと息子を思う母親の姿の重さ、そして息子弁を演じたルーカス・ヘッジス(何気に本作監督の息子。「ある少年の告白」でゲイである事を両親に知られた事で宗教によるセラピー・キャンプに送り込まれるという実話映画化の主演も素晴らしかった)の生きている限り続く終わりなきクスリとの戦いの姿を見事に演じていた。それにしても夜のパートの「聖杯」がまさかね。演出、脚本とも実にうまい。「聖杯」はベン以外の家族の日常、幸せの象徴。だからこそベンは取り返す事に執着した。夜のパートは一種の神話です。「聖杯」を取り戻してベンが何を代償に差し出すのか問われている。

 作中でベンが依存症患者の集まりに行って「クリーンになった事でお通じがいい」と言って笑いを買っているけど、あれはおおマジな話でオピオイド鎮痛剤の副作用として便秘があるのでその事を踏まえたジョークになっている。

 薬物依存症はクリーンであっても再び戻ってしまう衝動が出現する可能性が長く残る。
「薬物のことを思い出させる物や人、状況に刺激されるたびに渇望が高まり、「薬物を使いたい/やめたい」という葛藤に揺れる状態は、薬物をやめてかなりの期間を経過しても続くのです。したがって、この質問における「治る」という言葉が、「目の前に薬物を置かれても全く動じなくなる」という意味であれば、「薬物依存症は治りません」と回答するしかないでしょう。」日本精神神経学会『松本俊彦先生に「薬物依存症」を訊く』より。https://www.jspn.or.jp/modules/forpublic/index.php?content_id=30
 劇中だと錠剤はもちろんの事、当時の友人を見ただけでも動揺する。だからこそ母親は息子の出現に大慌てで家中の薬を隠したし、屋根裏部屋ではベンは薬を手に隠しつつ妹に薬の隠し場所だったと言って確認させている。

 「ビューティフル・ボーイ」は薬物依存症になった息子と両親の戦いを描いた作品というのは共通項なんですが、こちらはオピオイド鎮痛剤も使ってるかもしれないけど、アンフェタミン(覚醒剤)に手を出している段階に入っている所は違ってます。また薬に手を出した時期も早い(父親の原作は2008年刊行)
 こちらの映画のポイントは依存症は何かきっかけがあれば手を出してしまう恐れを孕んでおり終わりなき戦いである事を描いている。だから映画最後に薬に手を出す事なく頑張っていると告げてる訳です。これは麻薬・覚せい剤でもオピオイド鎮痛薬でも変わりない依存症患者の人が何と闘い続けなければならないかを示している。

 映画の最後、ベンと母親のシーンはパンドラの箱なんですよね。希望はある。でもベンは日々衝動と向き合い戦わなければならない。それは悪い見方をすれば絶望的な戦いです。依存症患者を描いた映画は何年クリーンに過ごしているとかいう言い方をして治ったと言わないのは訳がある。年数を経れば衝動は減っていくのかも知れないけどゼロにはならない。朝に終わるのはまたこれからベンの衝動との戦いの始まりを暗示している。衝動が減っていくかもしれないけど、その衝動にとらわれずに生き抜けるのかというベンの戦いはもう始まっている。それが今後年単位で続く。事実上「終わりなき戦い」であるがために容易なハッピーエンドはあり得ない。
犯罪から更生して良くなっても完治するというような病気ではない。数年、10年単位に戦いであり負けたら過剰摂取死にいたる可能性が高い。負けてしまう可能性は少なからずある。

劇中では母親が期限の切れたオピオイド拮抗薬(オピオイド鎮痛剤の薬効を阻害して呼吸停止死を防ぐ)をベンが薬に誘い死にいたらしめた娘の母親から提供受けた。
その母親がドライブイン薬局で拮抗薬を手に入れようとして夜は売らないと拒否され、明け方ベンはそこで注射針セットを手に入れているという矛盾した対応が見られる(オピオイド鎮痛剤は通常内服するか合成オピオイドなら皮膚パッチで使用する。薬物依存症患者はオピオイド鎮痛剤を溶かして注射で摂取する。これをやると過剰摂取となり呼吸停止死になる恐れがある)。

そういう事を全部飲み込んであのパンドラの箱に最後に残された希望の可能性が示された。それは優しさなのか、それとも絶望の別の示し方なのか私には区別がつかない。