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ヒトラーのための虐殺会議のえむえすぷらすのレビュー・感想・評価

ヒトラーのための虐殺会議(2022年製作の映画)
4.9
1942年(S17年)1月、ベルリン・ヴァン湖(ヴァンゼー)で開催されたホロコースト推進方針の策定と主導権を誰が握るのか定まった次官級会議の1日を再現。音楽なし。環境音と会話、表情だけで進む。

1939年9月 独、ポーランド侵攻。英仏は独に宣戦布告
1940年5月 英、ダンケルク撤退戦
1940年6月 仏、ヴィシー政権成立、独に降伏
1941年6月 独、ソ連侵攻
1941年12月 日本、太平洋戦争開戦。独は同盟条約により米と開戦
1942年1月 ヴァンゼー会議
1942年6月 英主導のエンスラポイド作戦でハイドリヒ暗殺
1945年5月 ヒトラー自殺、独降伏
1953年11月 シュトゥッカート元内務次官、ニュルンベルク裁判で有期刑だったが未決勾留期間算入で判決後即時釈放されていたが交通事故により死去
1962年5月 南米で拘束されイスラエルに連行されたアイヒマンは死刑判決を受けて処刑された(死亡確認は翌6月1日になって行われた)

会議でも触れられているが、ナチスはユダヤ人の財産没収と国外追放を当初目論んでいたがヒトラーが次々と戦争を起こした事でユダヤ人を追放するルートを自ら全て潰してしまう。ヒトラーの戦争経済は収奪で成り立っていて支配領域を拡大し続けないと持たないものでユダヤ人を勢力圏で抱え込む事はナチスの論理では無駄でしかなかった。彼らにとっては障がい者もロマ民族もユダヤ人も等しく国家・社会のリソースを食い荒らす邪魔者でしかなかった。このような状況での「最終的解決」が何を意味したのか。この会議での省庁や親衛隊、国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)がそれぞれの利益と面倒の押し付け合いをした中でハイドリヒが狙った主導権の獲得と絶滅収容所での大量殺害の推進につながるやり取りが淡々と再現される。

事前に出席者の氏名と代表している省庁・組織は知っておいた方がいい作品。省庁次官らの大半はあまり知られていない人たち。権限を守り面倒なユダヤ人を担当領域から追い出したがる。会議を主宰したのはラインハルト・ハイドリヒ大将。チェコ総督であり夏にはチャーチルのエンスポライト作戦で暗殺されている。その彼が残した最大の犯罪がホロコースト推進体制を定めた事だった。

この会議では内務次官が抵抗をしている。但し彼が善人だったかといえばユダヤ系の血が入った人たちの処遇についてニュルンベルク法などの順守を主張しつつ断種手術すればいいと言い放っており彼は彼でやはり人種差別・ホロコーストに加担した一人だった。
彼が会議最後のやり取りには加わらずカメラのフレームに入ってこないように処理されていたのですが最後の最後で苦虫を噛み潰したような表情をしていたのはちょっと引っかかっている。本作の制作陣が彼をどう思っていたのかなと。

会議の出席者ではなくハイドリヒの部下、会議事務方で議事録担当の女性の部下を連れてきているアイヒマンの積極的有能さはアーレントがイスラエルでの裁判傍聴を経て書いた本で触れた「悪の陳腐さ」として知られるが、彼が単なる官僚として末端で単なる仕事をしていた訳ではなく積極的に大量殺害のための仕組みを検討、実証を経て実際に実施をさせた中核的な人物である事は知っておくべきだろう。この会議でのアイヒマンはハイドリヒから回された質問を数字を挙げて間髪入れず回答したり、絶滅収容所でのドイツ人の心理負担がない大量殺害方法を説明したりしていて彼の「優秀さ」がわかるようになっている。

この会議の出席者は誰もホロコーストを行う事に嫌悪感は抱いていない。ユダヤの人々から取り上げた財産処分での省益、ユダヤ人管理の負担を嫌がり他の省庁に押し付けたいという省益、速やかに荒っぽくても雑でもいいから絶滅させたい願望の人、そして絶滅させるべき人々の定義にこだわる人。そんな人たちしか出てこない。

演出は時間経過とともに寒色の色調が強まっていき、薄暗さはキープされている。そんな中でアイヒマンの部下の女性が、彼が課長の部署に移ってきて音楽会が開かれたりと職場の環境改善に配慮されていて働いていて嬉しいというような事を言っている。そんな彼女はこの1100万人もの人の財産を取り上げて殺害する構想についてずっと見聞きしていたというのにゾッとする。

追記。このような作品は過剰な演出には向いていない。限りなくドキュメンタリーに近い性格を持つのは現実に起きていた史実の再現が中心だから当然の事だろう。アートとしての映画としては評価できないとする感想の方も多いが、字幕では欠落した情報も多そう。彼らが次官級官僚として省益を代表する立場の人たちだったので所属組織名・役職で表記された方がもう少しわかりやすかったはず。ホロコーストへ突き進んだ理由(最初から大量殺害を推進すつもりだった訳ではない事は冒頭で触れた)、ただ人命については経済的価値観から無駄と断じてその命を奪うことに理屈上は何も抵抗感がない事、そして実際に手を下す際の抵抗感についてアルコールで紛らわせるような真のドイツ人を蝕みかねない事へは大変配慮していたという異常さを本作で知る事ができる。ナチスとホロコースト。第二次世界大戦についてある程度知らないと咀嚼しきれない作品なのは仕方がないところか。ここで触れた事はある程度調べて見られた方がその不気味さ、異常さをもっと理解できると思う。