るる

ゲティ家の身代金のるるのネタバレレビュー・内容・結末

ゲティ家の身代金(2017年製作の映画)
3.4

このレビューはネタバレを含みます

肝心のエイリアンシリーズを見ていないなりに、この監督の美意識、偏執的で好きだな、と思っていて、
(作品から女嫌い、女虐めの癖が垣間見えるのに好きなあたり、ラース・フォン・トリアー監督と近しい枠に入れてるんだけど、知の厚みがすごいよなって…あとどうでもいい男のことは本当にどうでもいいと思ってそう、肉体を切ったり貼ったりになにかしらの偏執を感じる…すげえ偏見ですけども)、

『オデッセイ』を観て、御大ご健在のうちになるべく新作は映画館で見たいな、と思うようになって、題材が面白そうだな、と気になったものの、絵的に地味そうだな、と鑑賞を見送ってしまった作品。
レンタルで。近所のTSUTAYAがなくなったら予告編を見てまだ見ぬ作品と偶発的に出会う、ということがなくなってしまうんだなあ、寂しいなあ、と途方にくれるなどしつつ。


ゲティ氏が石油王になった経緯、なんだこの映像的迫力。大画面で見るために作られてるのがわかる、構図の面白さ。やっぱり映画館で見れば良かったなあと後悔。

アメリカ人の石油王とはつまり中東から資源を搾取した男とも言えるんだよな…ということを思ったりした。そしてそれがアメリカの歴史でもある、素晴らしい成功者としては描いていない、でもたしかに成功者である、否定も肯定もしないつくり、保守からもリベラルからも支持されそうな、

そして格差社会を見せつけるつくり、現在の映画、賞レースを見据えた作品だと思った。

ゲティ家、マフィアみたいなファミリーだな。と思ってたら、ゲティという特殊な家に振り回される女と、イタリアンマフィアというファミリーに振り回される誘拐犯の構図だった、すげえ。家族、家族、家族。

色気のある老人って不気味だよな。あの有り余る金に埋もれて、倦み疲れてなお、生命力がある感じ、福本伸行作品に出てくる金持ちの老人を実写化したらこんな感じかもしれないな、ああいう金持ちは実在したんだな、などと思った。

自分がハドリアヌス皇帝の生まれ変わりだと信じきっている祖父、すげえな。帝王学。

彼に憧れを抱き、嫌いきれない息子、孫息子、わかる気がするぜ、あんなふうに生きられたらそりゃいいよな…
しかし、大抵の人間には、利潤追求のために弱者を切り捨てても当たり前だと割り切って鈍感でいられるような、あんな器はないわけで、そりゃあ病むわな…
全てから逃げるように、豪奢で退廃的なヒッピー生活、芸術に溺れる享楽的な暮らし、時代も関係するだろうけど…麻薬の起源って古代ギリシャ・ローマ時代まで遡るんだっけ、いやはや

離婚、親権交渉、値がつかない提案に、「騙されている気がする」と言う大富豪、数字で測れないものを信頼してない、理解できない感じ、象徴的。

母親に引き取られることになって、不満を見せる少年。セレブの子供の正しい育て方とは?って感じな…

息子の誘拐を知り絶縁状態のゲティ家に乗り込む母、「私を追い返す気?」「私の家なら追い返しませんが、私の家ではないので…(その廊下を)右です」「ありがとう」執事? とのやりとり好き

家の中に設えられた客用公衆電話、あれ大昔に、世界の大富豪の再現ドラマかなにかで見たような、記憶を刺激された。吝嗇家の逸話をうまく映像化してる感じ、面白かったし、シュールで良かったな…

ゲティ氏が元CIAのチェイスに交渉を依頼する際、二人の間に写り込んでいたのはアポロン像?「女に人質交渉ができるわけがない」という台詞に合わせて二人の間に割り込むように画面に写り込んだのはアルテミス像かな? 古代ギリシャについてかじったきっかけの一つに『ハンニバル』があったことを思い出して感慨深くなるなどした…知の厚みに殴られてる感じ。

「息子が誘拐されたのに泣かないんですか?」マスコミ、大衆は弱ってる女を見たがる、被害者は被害者らしくあれと求めがち、あるあるをちゃんと。

祖父の手紙の代筆をしていた少年が、牢屋の中で誘拐犯の要求を手紙に書かされる、巧い脚本だな…

誘拐犯の人間味をきっちり描く、彼らにも家族がいるし、暮らしがあるし、金のためにやっている、大事な話だ…

あっさりと顔を晒してしまう誘拐犯たち、いかにもプロじゃない、間抜けさで。

金銭で物の価値を図る人間が、頑なに身代金を払わないということは、孫に価値を感じていないということだし、彼に譲られた置物は安物でしかなかった、あの義父は、息子になにも与えてはくれなかったのだと思い知って、一縷の希望を断たれて涙する母、凄かったな。

耳の写真を新聞に載せたいと新聞社から交渉される、シュール、ニュース性とは? 息子の耳は家族のもの、これまたシュールな返し、たった五万ドル、身代金の足しにもならない掲載料、お金ではなく新聞1000部を、義父に送りつける、交渉、交渉、交渉

すっかりゲティ少年に同情的な誘拐犯、

しかし、金持ちだし、家族が大事なら当然金を払うだろう、という予想を裏切られて、常識を揺さぶられて疲弊していく、家族との結びつきが強い誘拐犯、
マスコミや世間からは金があると思われてるし、実際金に困ったことがない程度には優秀だけど、あくまで庶民な母親、

これ一体なんの争いだ、と虚しさがこみ上げてくるつくり、どんどん下がっていく要求額、息子の命の値段、凄まじかったな…

ゲティ氏を説得したチェイス、男の言うことしか聞かないゲティ氏、ゲイルに対してわりとずっと雑に接し続けたチェイスの中途半端な活躍ぶり、なんとも言えん描き方…

聖母マリアが子を抱く絵画に執着するゲティ氏…あのゲイルという母親が孫息子を奪ったと思い込んでいる彼、あの絵画のような母子であれば許容したのに、ということなのかな…

ゲティ氏の死、代理人となったゲイル、このへんの時系列は史実と違う、よね? 醜悪な老人が死に、有能な女が全てを引き継ぐ、時代を象徴してる感じはするけど…

チェイスに対して、「あなたは家族よ」と親しみを込めて語りかけるゲイル、一線を引くチェイス、そりゃ、な…もっとホラーっぽく撮ったって良かったと思う、家族、家族、家族…

ギリシャ彫刻の胸像の中に、死んだはずの義父の顔を見つける、こええな、亡霊に出会ったような、苛まれる、なんとも言えん幕切れ…

多分、読み取り切れてない部分は多々あるんだけども。必要な台詞が全部ある感じ、緻密さ、戯曲っぽくて好き。


しかし、これ再撮影したの? すげえな…金があるからこそできたことだと思うと作品のテーマと合わせて皮肉だけど、
せめて金を持つ者が社会正義のために最善を尽くしてくれなきゃこの世は成り立たんと思うので良かった、かな。

とはいえ、これが監督の推し俳優の不祥事だったらどうしたんだろ、今回はキャスティングに不満があったから、これ幸いとばかりに理想の作品づくりのために嬉々として再撮影したんじゃねえの、と疑う思いはあるけども。

それにしてもケヴィン・スペイシー、ほんとさいあく、スキャンダル発覚後の対応が悪すぎて本当に引いてる、周りにブレーンとなるような人間がいないんだろうな、そのへんに金を使ってないんだな、と感じて残念さが増してる。
加害者が糾弾されたことをきっかけに一転して被害者ぶるのって、心理的な自己防衛・認知の歪みなのだろうと思うんだけど、彼のふてぶてしさ、何を考えているのかわからなくて、不安になる、
俺だってマイノリティなのに何故責められなきゃいけないんだ、という態度が垣間見えて、根深すぎる差別構造にげんなり…なんだかなあ…

再撮影にあたってギャラ交渉したというマーク・ウォルバーグは役どころ的に撮影量も多かったろうし、間違ってないと思うんだけど、事情が事情だし、他の共演者の動向を見て足並み揃えたりできなかったのかな、とか。
マーク・ウォルバーグとミシェル・ウィリアムズの対立、作品内の関係性から場外乱闘へ発展、と思うと象徴的でニュース性もあって面白いけど、全部が予定調和のプロレスにも思えてくる…
しかし、男女で賃金格差があることを知って、格差是正に動く団体に再撮影ぶんのギャラを全額寄付したというマーク・ウォルバーグ、背後にちゃんと、リスクマネジメントするエージェントがいるんだろうなとわかって、まあまだ安心できる…

しかし、金、金、金、金、かね。製作事情も含めてすげえ映画だ…
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