バス行っちゃった

がっこうぐらし!のバス行っちゃったのネタバレレビュー・内容・結末

がっこうぐらし!(2018年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

この金玉袋はきっともういないんだろうなというのは途中でわかったのだけれども、まさか自分で縛っているなんて思いもよらなかったので、縛られた金玉袋にグッときてしまうというなかなかな体験をさせていただいた。深夜ラジオ聞かない人にならネタバレとはなるまい。多分。

この映画以外の関連作品についてはまったく知らないので、この作品についてだけ。

総じてゾンビ映画や映画館という状況から来るルールをうまく活用していてなんだかやられちゃったといった感じ。

序盤が状況設定にしては冗長で、つたない演技やその甘ったるい味付け、不自然なくらい漂白された映像は、もしこれがテレビなどでたまたま見たものだとしたらここで視聴をやめてしまうかもしれないと思うくらいしんどかったのだけれども、二幕で美紀との話がはじまると、彼女の視点を通して序盤の冗長さの意味が次々と明らかになっていって、はじめにこちらのテンションが落ちる谷間が設けられていた分ミステリ小説の基本構造から来る楽しさがより感じられる仕組みになっていたことに加えて、状況設定の冗長さはフランクルの夜と霧を読んだときにも覚えた絶望的状況におけるエンターテイメントの重要さへも還元されていくものだから、ああこれは、と。

明るい画面の中でそれでも割れている窓ガラスから本当は狂ってなどいないことが読み取れるようになっていたり、最後の街並みの、人類が抵抗したのだろう爆撃の跡のようなものが見て取れるビルの間をどう車が進むのかによって彼女たちが行き着いたジンテーゼと待っている未来が見てわかるように表現されていたりと、とにかく映像による語り口が堅実で抜かりないものだから、そのひとつひとつで妄想していくのがまた楽しい、というか、切ない。

また、いわゆるプロットポイントだのミッドポイントだのと呼ばれている二幕の真ん中に絶体絶命のピンチを置いて、二幕の終わり近くのポイントにはこのままここで終わればそれなりに幸せであろうという絶頂を置く形の物語になっていたように思うが、個人的にこの形を使った話というのは物語的な山と谷の高低差が中途半端になってしまってメリハリが足りなくなるか、無理に高低差を出そうとして話が唐突になってしまいがちのように感じているのだけれども、この作品はこの問題についても序盤の冗長さをうまく使って高低差を稼いでいて、感情的にもそれほど突っかかるところがなく乗りやすい流れになっていたのではないかなと。偉そうに。

まあ、よくできているということがちょっとわかりやすくなってしまっているのが衒いのように感じなくもないとか、いないはずのものがいることやそれが持つエネルギーの相対化としてあの先輩は味わい深いがそれだけ異物感も強いので作為的にも見えてしまうとかとか少しはケチもつけとかないと嘘くさくなってしまうが疲れたからもういいや。楽しかったよ!くそ!