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スパイダーマン:スパイダーバースのokomeのレビュー・感想・評価

4.0
「僕には大き過ぎるかな?」
ーー大丈夫、よく似合うさ。いずれな。


ヒーローってなんだろう。
皆大好きファンキー爺ちゃんスタン・リーが描いてきた、沢山の素晴らしいアメコミヒーローたち。
彼らは一体、どういう存在なんだろう。

「困った時に颯爽と駆けつけてくれる救世主」。
勿論そうです。
人知を超えたスーパーパワーでもって、どんな困難も打ち砕いてくれる頼れる存在。
特にMARVELのヒーローはそうやって描かれるし、彼ら自身もそれを自覚して行動しています。
だからあまり意識した事が無かったけれど、でももしかしたら、それは彼らの役目の一側面に過ぎないのかもしれません。
と言うのも、今作の最後で提示されたスタン・リーからの直接のメッセージが、あまりにもストレートに心に突き刺さるからです。


「誰かを助けてあげたいと思ったのなら、すでに君もスーパーヒーローだ」。


普段の生活で、たまに「奇跡の救出劇」とか「難病を克服する人たち」等が雑誌やTVのドキュメンタリー番組で特集されるのを目にする機会があります。それを見た時、程度の違いはあれどやっぱり自分は「すごいな」と感動するし、「世の中捨てたもんじゃないな」と思わせてもらえている。
そして、そんな成し遂げた人たちは、往々にしてこう表現されます。「ヒーロー」と。
つまりは、それと同じ事なのではないでしょうか。
目の前で奇跡のような善行が行われている。
それを目撃した人たちは驚きつつも感動し、その幾人かは更にこう思うかもしれない。

「自分ももう少し頑張ろう」。
「あんな風に、自分も誰かの助けになりたい」。

助けて終わり、では無くて、それによって誰かが善行へと向かう為の出発点となる事。それこそがスーパーヒーローのもう一つの役目なのだと思います。
そして、その心に灯った火を広めていくのは、他でもない受け取った側の役目です。
「世の中を善くしていくのは、君たち読者一人一人の力だ」。スタン・リーが作品に込めた真意はこれだと、自分には思えてなりません。


そう改めて考えれば、『スパイダーマン』という作品は彼の代表作らしく、そのメッセージが最も色濃く反映されていると感じます。
スパイダーマンはNYの人々にとっての「親愛なる隣人」であり、彼から勇気をもらった人々は、それぞれの善意で恩人を支えるという相互関係が成立しています。
でも、もしそれが崩れてしまったら?
ある日突然、「善い行い」を示してくれる絶対的な存在がいなくなってしまったらどうしよう。
そこから今作の物語が始まります。

成り行きで後を継ぐ事になった主人公のマイルズは、偉大過ぎる前任者に、精神的にも技術的にも追いつけず苦悩する。
「ヒーローとそれを支える人々」という既に確立された構図が、そのまま重圧となって彼に圧し掛かるのです。スパイダーマンである以上、人々の善意の象徴である以上、それがブレる姿を見せるわけにはいかない。泣き言も許されないし、どう行動すれば良いのか相談する相手もいない。
孤独と無力感に苛まれたその時、別の次元から何人ものスパイダーマンが現れる。
彼らとの交流を経てマイルズは遂に真のヒーローとして変貌を遂げるわけですが、その過程はこの上なく感動的。何故かと言えば、そこでオリジンものとしては今作特有の、斬新にして重要なテーマが描かれるからです。

それは、
「ヒーローは1人だけではない」ということ。

無数に広がる宇宙のどこかには、共鳴し合う魂が必ず存在する。だから、どんな立場であろうと、君は絶対に独りではない。
怖がる必要なんて、何も無いんだ。

SF的な便利ツールとして使われがちな平衡世界という設定を、これ程までに熱いメッセージに昇華させた作品がこれまであったでしょうか。
そしてこのメッセージは、映画のラストシーンでマイルズによってこう結ばれます。



「だから、誰でもヒーローになれる」。



少なくとも自分はこれを受け取って涙が止まらなかったし、物凄いパワーを頂いた気分です。

スタン・リーにだけじゃない、この映画を作ってくれた全ての人たちに、こちらがお礼を言いたい。
ありがとう『スパイダーバース』!!
この映画そのものが、僕にとってのかけがえのないスーパーヒーローだ。
okome

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