このレビューはネタバレを含みます
わずか15歳で処女作が芥川賞・直木賞をW受賞する超超超高校級の天才かつ、気にいらない人間がいれば殴る蹴るの暴行を加え、言われるがままに学校の屋上から飛び降りる〝あたおか(Atama-okasii)〟な主人公、響。
今後の女優人生にミソがつきそうな色モノ臭がプンプンするこの役を見事に演じきったのが、欅坂46の平手友梨奈である。
『紅白』のパフォーマンス中に失神したのも、この映画の役作り兼プロモーションなんじゃないかと疑うくらい、そのオーラ系ポジションと響のキャラがカブりすぎていて感動さえ覚えた。原作が真似たのか、平手が真似たのか検証したいレベル。
映画『BECK』で〝神の歌声〟を持った主人公が満を持して歌う場面で「結局聴かせてくれへんのか〜い」だったのと同じように、本作も小説の中身自体は一切明かされない。ただただ〝とんでもない作品〟なんだと押し切るかたちだ。
しかし、そのことが逆に「圧倒的な、どうしようもない力に振り回される人々を描いたパニック映画」としてのジャンルを成立させてはいないか。あまりに強引で理不尽。つまり、響は「天才」というより「天災」であると。
ただ、それがゆえに「ちょっとなぁ〜、、」な瞬間も訪れてしまうのである。
主軸である響を中心とした物語と平行して、小栗旬演じる小説家のサイドストーリーが並行してちょっとづつ進んでいくのだが、それがどう重なる…!? のと思いきや、「賞を獲れずに踏切に飛び込み自殺しようとする小栗を平手が止める」っていうだけというオチ。
あの小栗旬を使って、あれだけ意味深に引っ張っておきながら、それだけ……? なんかもっとこう、〝最強のライバル〟として登場したりとかしないの…? と思ってしまったがしょうがない。天災を前に人間は無力なのだから。
彼に期待してしまったのはきっと、実写版『人間失格』で伝説の文豪・太宰治役をやってたからだと思う。このガッカリ感の責任のすべては、小栗旬になすりつけたい。