ルサチマ

月夜釜合戦のルサチマのレビュー・感想・評価

月夜釜合戦(2018年製作の映画)
4.4
先月の中旬、今作と大島渚『太陽の墓場』の舞台である大阪西成区へ出向いたが、映画で見るような強烈な匂いは影を潜め、中心地には再開発の影響で整備されたホテルなどが立ち並ぶ垢抜けた様子であった。この映画のクライマックスに使用される三角公園にも立ち入ろうとしたが、例えば写真をさっと撮ろうとすることだってできるし、現状ネットで西成について調べればくだらないYouTuberがカメラを気軽に回した撮影動画をアップしている投稿をいくらでも見つけることができる。自分自身も日頃は楽天的なミーハー精神で旅先でスマホカメラで気に入ったロケーションを撮影することもあるが、幸か不幸か『太陽の墓場』を見ていたために、西成という極めて映画的映えするロケーションに立ったとて気軽にスマホカメラを取り出すようなことは叶わず、ただ呆然とホテルのある中心地の方へと踵を返すことしかできなかった。

今まさにあらゆる報道や外部の大衆のカメラに晒されている西成を16ミリフィルムの劇映画で撮るという行為は、監督の決意表明として、そして街を巻き込んだ労働運動的催事としても、紛れもなく『太陽の墓場』に連なる映画作品であることを外部に発信する手段としても必要だったのかもしれない。

今作のパンフレットの代わりに劇場物販された批評新聞『CALDRON』第一号を読むと、佐藤監督と親交のある松村浩行と鎌田哲哉の今作に対する親交故の鋭い批判(問いかけ)がなされており、それに対応するかたちで第二号では映画製作チームの鼎談が実践されている。製作チームが一丸となってただの上映で映画を終わらせまいとしている決意を感じることができる。『月夜釜合戦』は上映され、ただ観客の目で消費されることを決して望んでないだろう。
上映に立ち会った者たちが次なる言葉を映画に投げかけることで新たなる映画、批評、運動の生産へと加担する連帯を求める。

この映画の素晴らしさとは、まさに撮影者と観客が同じ地平に立ちながら、映画が放り投げた未解決の「釜が無くなっちまった」ことに対する問題について想像することができる対等な関係を切り開いていることにあるような気がしている。
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